川柳五七・鉄道博物館に行く1
2007年10月28日、2007年10月14日に埼玉県さいたま市大宮区に完成した、
鉄道博物館に弊サイト作者が行きましたので、
ここではその感想レポートを述べたいと思います。
1、交通博物館と鉄道博物館
今回、私は埼玉県さいたま市大宮区にオープンした、鉄道博物館に行ってまいりました。
既にご存知の方が多いと思いますが、
鉄道博物館は東京秋葉原(厳密には万世橋)にあった、
交通博物館を移転したものです。
交通博物館は建物が経年劣化してきたこと、
展示スペースが手狭になってきたこと、
展示物の見直しすることなどから、
さいたま市大宮区に移転することになりました。
私は交通博物館には、鉄道ファン駆け出しの頃、
鉄道ファン仲間たちと1回、家族で1回の計2回しか行ったことがありません。
ファン歴20年近い鉄道ファンにしてはあまり行く機会がなかったのですが、
これは埼玉のうちから秋葉原まで行くのが面倒だったこと、
鉄道ファンにとって交通博物館は「鉄道入門的場所」と言う見方がされ、
「ある程度の鉄道ファンはもう常識的に知っているから見に行かない」
と言う雰囲気があったので、
なかなか行くチャンスがありませんでした。
鉄道研究会に所属していた頃も、
「交通博物館に行く」と言う企画は出てきませんでした。
しかし、鉄道を知れば知るほど、逆に目線が一般鉄道利用客的になり、
鉄道ファンとしての目線や考え方が薄れてきました。
だから、今回、鉄道博物館に行くことに、
「恥」とか「鉄道ファンのプライド」と言うものは感じませんでした。
一般観光客同様、
「新しくオープンしたからどんなものか見に行く」的気分で行ってまいりました。
で、交通博物館と鉄道博物館と比べた感想ですが、
完全にテーマが「交通」から「JR東日本」になった印象を受けました。
交通博物館にあった、自動車、飛行機、船舶関係の展示物は、
鉄道に関連するものだけになり、
民鉄関係の資料や展示物もなくなってしまいました。
ざっと見たところ民鉄関係の展示物は、
初代小田急ロマンスカーの3000形電車の模型くらいでした。
要は、「鉄道博物館」と言う名前の博物館なのですが、
厳密に言うと、「JR東日本博物館」と言った方が正しいかもしれません。
2、なぜさいたま市大宮区の「大成」に鉄道博物館を造ったのか?
大宮に鉄道博物館を造ったのは、
JR大宮工場があるように、大宮は鉄道で栄えた街だからだと言うことは、
鉄道ファンなら薄々感じているかと思います。
しかし、なんで立地場所が「大成地区」なのか疑問に感じます。
大成地区に造ってしまったため、地元住民以外、
1駅間だけ埼玉新都市交通に乗らなければ行けない状態になってしまいました。
特に私のようなJR川越線方面から来た人や、
JR高崎線方面から来た人は悲惨で、
「あ、あ・・・鉄道博物館が通り過ぎていく〜。」と、
自分に無力さを感じながら、
ただ過ぎ去っていく鉄道博物館を見ながらわざわざ大宮駅まで乗り、
また、埼玉新都市交通で引き返すような形になってしまいます。

(埼玉新都市交通1050系電車)
どうせ造るなら、老朽化しているJR大宮工場(大宮総合車両センター)を大成よりに移設して、
大宮駅近くに鉄道博物館を造ってくれればこんな面倒なことにはならなかったはずです。
それが不可能だったら、JR川越線とJR高崎線に「鉄道博物館前」駅を造って欲しかったです。
しかし、それをしなかったのは、
埼玉県やJR東日本のきな臭い意図的なものが感じられます。
埼玉新都市交通の株式は、大部分が埼玉県とJR東日本で占められていて、
だいたい、埼玉県とJR東日本は同じ比率の株式を保有しています。
埼玉新都市交通は、まあまあ利用客があるとは言え、
決して順風満帆な経営とは言えません。
そこで、わざわざ大成地区に鉄道博物館を造って、
1駅でも埼玉新都市交通に乗せようとする埼玉県とJR東日本の意図が見え隠れします。
とは言え、家族連れの子ども達は結構埼玉新都市交通に乗るのが楽しいらしく、
はしゃいでいました。
まあ、鉄道博物館の見学の一環として、
新交通システムに乗るのは悪くは無いのかもしれません。
次のページからいよいよ本題に入ります。
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