日本最北私鉄・津軽鉄道1
津軽鉄道線は津軽五所川原駅から
津軽中里駅までの20.7㎞の路線です。
昭和5年(1930年)7月に
五所川原(現・津軽五所川原)駅から金木駅まで開通した後、
同年11月には中里(現・津軽中里駅)駅まで開通しています。
路線も会社もその後、令和の今日まで全く変化はありません。
昔は旅客輸送も貨物輸送も盛んだったのですが、
沿線の過疎化やモータリゼーションなどの影響で貨物輸送は廃止され、
利用客は減少してきたため、
最近は交換設備などを撤去して閉塞区間を2閉塞区間だけにして、
合理化が進められています。
近年、運転士不足による本数の減便など暗い話題が多かったのですが、
南の弘南鉄道とともにインバウンドの利用客が増えており、
利用客は増加に転じているようです。
この路線は軽快気動車の単行運転が基本ですが、
冬場はダルマストーブを搭載したストーブつき車両を連結した、
ストーブ列車が運転されています。
ストーブ列車はかつては旅客運賃だけで乗車出来たので、
ディーゼル機関車牽引のストーブつき客車単体の運転だったのですが、
現在はストーブ列車に乗るにはストーブ列車料金がかかるため、
一般旅客用に軽快気動車も連結されています。
また、ディーゼル機関車が使えないときは、
軽快気動車がそのままストーブつき客車を牽引することが多くなっています。
12、津軽中里(つがるなかさと)Tsugaru-Nakasato

津軽中里駅は中泊町の中心地にあります。
十三湖のある今泉、五所川原市市浦、小泊方面へのバスは一応ありますが、
このバスは五所川原駅始発で、津軽中里駅の時刻に全く合わせて無く、
しかも、本数が少ないので、殆ど乗り換え機能はありません。
駅舎はやや大きめで、
訪問時はここら辺の伝統人形芝居である金多豆蔵人形劇場や、
青森市内の短大サテライトキャンパスがテナントで入っていましたが、
テナントに関しては流動的のようです。

のりばは片面1線で、駅舎に直結しています。
その他、東側に機まわし用の線が1線あります。
(最近はディーゼル機関車だけでなく、
軽快気動車牽引の列車があるため、
機まわしは機関車だけとは限らない。)

津軽中里駅は更に東側にもう1本側線があり、
その側線は木造の小屋に引き込まれています。
金木駅~津軽中里駅間はスタフ閉塞区間なので、
緊急時以外は2列車以上の入線はありません。
そのため、この側線に車両が留置されることはありません。

木造の小屋の前には転車台があります。
津軽中里駅折り返しの合間に機関車などがこの転車台で方向転換する、
デモンストレーション稼働をすることがあります。

小屋はボロボロで使われている形跡がありません。
昔は機関庫として使われていたのだと思います。

津軽中里駅の車止め方向です。
終端部に引上線があり、
津軽五所川原駅方向に本線(写真一番左)、機まわし線(写真真ん中)、
小屋への側線(写真一番右)が分岐しています。

津軽中里駅を出ます。少しの間、機まわし線が併走します。

機まわし線が合流し、
やや上り勾配になります。

盛土になります。
左手には比較的新しい町営住宅があります。

左手が町営住宅から水田に変わります。

やがて右カーブになります。

宮野沢川を渡ると、左手は法面になります。

やがて、右手も法面になり、切通しになります。

カーブが終わると、砂利道に沿って走ります。

その砂利道が交差します。


視界が広がり、再び右カーブです。

線路はこんもりした盛土で、
線路敷きは広く、ゆったりしています。

カーブが終わると、深郷田駅です。
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