海辺の急行・山陽電鉄本線13
31(SY31)、高砂(たかさご)Takasago
2面4線の駅です。
旧駅名は「電鉄高砂」だったのですが、
国鉄高砂線が昭和59年に廃止されて国鉄高砂駅が無くなったため、
平成3年に「電鉄」を外して今の駅名になりました。
なお、国鉄高砂駅はこの駅から南に600メートル離れた、
旧市街地付近にありました。
駅の南側に壁のように並んでいる商店があるのですが、
その東端裏手に国鉄高砂線の高砂北口駅がありました。
山陽電気鉄道との乗り換えはこの駅と行われていたのですが、
尾上の松駅同様、駅が少し離れているのと、
国鉄高砂線の本数が少なかったため、
乗り換え客はあまりいなかった(特に晩年)と思われます。
駅前はマンションや雑居ビルが建ち並んでいる市街地になっています。
最近まで駅南側にショッピングモールもあったのですが、
イオン高砂など郊外型ショッピングモールの進出で今は営業していません。
先に書いた通り、高砂の旧市街地は国鉄高砂駅周辺で、
ここにはシャッター通り化しているアーケード街があります。
この旧市街地の西側に弘法大師空海が創建した
十輪寺の広大な敷地が広がっています。
高砂と言えば、
大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命)が祀られている高砂神社なのですが、
高砂神社は駅から南に1キロ強離れており、
歩いて行くと15分程度かかります。
(バスはコミュニティバスしかないので、殆ど使えない。)
高砂は相生の松など、
万葉集の頃から登場する播磨灘の景勝地だったのですが、
今は工業都市でそんな雰囲気は全くありません。
駅の東側には三菱製紙の工場が、
そして、南の埋立地にはカネカの高砂工業所の敷地が広がっていて、
何れもかつては国鉄高砂線から貨物用専用線を引き込んでいました。
(カネカの工場東側には高砂港貨物駅もありました。)
カネカ高砂工業所と運河を挟んで対岸には高砂海浜公園があり、
ここだけ、昔の景勝地の雰囲気を僅かながらに残しています。
高砂にカネカの工場が広がっているのは、
大正時代に鐘淵紡績(カネボウを経て現・クラシエ)の工場が出来たからで、
戦後、事業拡大のため鐘淵化学工業が設立され、
鐘淵紡績の工場南側に鐘淵化学工業の工場が新たに造られました。
これが現在のカネカと言うわけです。
現在、鐘淵紡績の工場は無くなり、
跡地はニュータウン(西畑地区)になっています。
高砂駅構内から右カーブが続きます。
左手に道路が近付きます。
この道路は国鉄高砂工場などへ行っていた、国鉄高砂線の貨物支線の線路跡です。
やがて右カーブが終わります。
国鉄高砂線の貨物支線だった道路が続いています。
かつてはこの道路の南側は工場だったのですが、
今は住宅になっています。
県道43号線の下を交差し、線路を右に振ります。
32(SY32)、荒井(あらい)Arai
相対式2線の駅です。
浜の宮駅、尾上の松駅同様、上下線を結ぶ地下通路の他、
バリアフリー化の為にエレベータを設置したため、
跨線橋が設けられています。
荒井駅周辺は山陽電気鉄道の線路を挟んで北東側は住宅地、
南西側は工業地帯になっています。
工業地帯には三菱重工業の他、神戸製鋼所、タクマ(旧・田熊汽罐製造)、
キッコーマン、黒崎播磨(旧・播磨耐火煉瓦→ハリマセラミック)などがあります。
駅勢圏が広い関係でこの駅の利用客は手前の高砂駅よりも多くなっています。
そのため、朝夕の直通特急はこの駅に停車します。
荒井駅を出ると線路を左に振り直し、右カーブになります。
荒井駅の前後の振りは昔からで、
おそらく南に走っていた国鉄高砂線の貨物支線の
線路用地を避けたためと思われます。
右カーブが続きます。
直線になります。
左手はキッコーマンの工場になります。
左手に釣り船の船着き場を見ると、
法華山谷(ほっけさんたに)川を渡ります。
33(SY33)、伊保(いほ)Iho
相対式2線の駅です。
法華山谷川に続く東播磨港(伊保港)のほとりにある駅で、
周辺の駅に比べるとやや長閑な感じがしますが、
住宅は増えつつあります。
法華山谷川を挟んで東の対岸に高砂市の市役所があります。
西南西にはAGC(旧・旭硝子)の工場が広がっています。
伊保駅を出ると左カーブです。
県道391号線の下を交差します。
直線になります。左手は県営住宅です。
鹿島川を渡ります。
渡るとすぐ上を道路が交差します。
左カーブを曲がると、曽根駅です。
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