
有明海を臨んで・島原鉄道1
島原鉄道は諫早駅から島原港駅までを結ぶ、43.2qの非電化路線です。
比較的歴史の古い民鉄で、
明治44年に諫早駅から愛野村(現・愛野)駅間を開通させた後、
順次延長開業し、
大正2年に湊新地(島原湊〜南島原を経て現・島原船津)駅まで開通しました。
一方、大正11年に口之津鉄道が島原湊駅から堂崎駅間を開通させ、
こちらも順次延長開業させて昭和3年に加津佐駅まで開通しました。
昭和18年に口之津鉄道は島原鉄道と合併し、
島原鉄道線は諫早駅から加津佐駅までの78.5qという、
島原半島を半周する長大路線になりました。
(当時は地方民鉄最長路線。現在は秩父鉄道本線が最長。)
平成3年に雲仙普賢岳が噴火し、
南島原駅以南の一部区間が不通になってしまったのですが、
土石流が酷かった水無川の橋梁の架け替えなどをして、
平成9年に全線運転再開を果たしました。
しかし、元々利用客が少なかった南島原駅以南の区間は、
この長期不通が原因で更に利用客が減ってしまい、
結局平成20年に、
島原外港(現・島原港)駅から加津佐駅の区間を廃止してしまいました。
現在の残っている区間は、元々の島原鉄道の区間と、
島原船津駅〜島原港駅間になっています。
島原鉄道は諫早と島原を結ぶ重要な路線で、
西九州新幹線開通後は更に重要性が高まっています。
また、有明海を臨む風光明媚な車窓が人気を呼び、
最近はSNS投稿目的で利用する観光客も増えつつあります。
24、島原港(しまばらこう)Shimabarako

島原港駅は島原市街地の南端にあります。
熊本を結ぶフェリーターミナルのある島原港(島原外港)は
駅から東に200メートル程です。
「島原港」は島原市街地の港の総称で、
フェリーターミナルのある港は「島原外港」なのですが、
フェリーターミナルを「島原港」にしたため、
旧駅名の「島原外港」では、
フェリーに乗り換えられるかどうか分かりにくくなってしまいました。
そのため、令和元年10月の駅名一斉改名の時に今の駅名に変更しました。
駅の南1.5qのところには、秩父が浦があり、
雲仙眉山が寛政4年の噴火で崩壊した際、
その土砂などが海中に流れ込んで出来た九十九(つくも)島を眺めることが出来ます。

駅は片面1線です。反対側にも1面1線あるのですが、
こちら側は現在使われて無く、
線路は本線側と繋がっていません。

現在、車止めになっている、旧・加津佐駅方向です。
草ボウボウで、昔はこの先に線路が続いていたとは思えないほどです。

島原港駅を発車します。
白土(しらち)湖通りと交差します。

斜面に沿って走ります。

上を木々が覆っています。

国道251号線の下を交差します。
ここら辺は何故か複線分の用地が確保されています。

浅い切り通しを縫っていきます。

写真に写っていませんが、右手は小さな船着き場です。


構内が広がっていきます。
23、島原船津(しまばらふなつ)Shimabara-Funatsu

2面3線の駅です。東側には島原鉄道の車庫(車両センター)があります。
開通時の駅名は湊新地で、その後、島原湊、南島原と駅名を変更し、
令和元年10月の駅名一斉改名で今の駅名になりました。
駅名から船着き場が近いことが分かり、
島原港(雲南地区)がすぐ東側にあります。

島原鉄道の車庫です。南向きに扇状に開いた敷地になっています。
車庫の端にワムがありますが、
堂々と「救援車」と表示されています。
なお、「救援車」は、事故が起きた際の復旧機材を運ぶ車両です。

島原船津駅を出ます。

左手が船津(船着き場)になっています。
撮影時は水が無く、船が地面に転がっていました。

前方は霊丘神社の敷地の森です。

霊丘神社の敷地に沿って走ります。

カーブを抜けると、霊丘公園体育館駅です。
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