アルペンを目指して・富山地鉄立山線6

09(T48)、下段(しただん)Shitadan


片面1線の駅です。
この駅も駅舎が天然記念物級に古いです。
この駅も釜ヶ淵駅と同様、
駅が出来たときの村名を駅名にしています。
駅前は長閑な集落ですが、
周囲は水田を開拓した新興住宅地が点在していて、
だんだん発展してきています。
駅の西の県道15号沿いには立山町の中央体育センターと、
武道館があります。
また、その近くにホームセンターやスーパーなどもあります。


下段駅を出ると、富山中部広域農道が下を交差します。


ここら辺の駅間は何れも水田ですが、
五百石駅に近付くにつれて、住宅も散見されるようになってきます。


踏切直ぐ横に墓がぽつんとあります。


やがて、左に曲がります。


小さい用水路を渡ります。

10(T47)、榎町(えのきまち)Enokimachi


片面1線の駅です。
五百石の市街地の入口付近にあり、
東側の道路に沿って家が多く建っています。
富山近郊のベッドタウンでもあるため、
だんだん新しい住宅地が増えつつあります。
そのため、小さい駅ながらそこそこ利用客があります。


榎町駅を出ます。遙か向こうに立山製紙の煙突が見えます。


一旦、水田地帯になりますが、
直ぐに市街地に入ります。


県道15号線と交差します。


やや右に曲がると、五百石駅です。

11(T46)、五百石(ごひゃくこく)Gohyakukoku


相対式2線の駅です。
駅舎は立山駅方面行きホーム側にあり、
双方は榎町駅寄りの構内踏切で結ばれています。
駅舎は3階建ての結構大きな駅ビルで、
立山町元気交流ステーションみらいぶになっています。
みらいぶの中は図書館や会議室、
保健センターなど立山町の施設が入っており、
改札口は1階にあります。
五百石駅は駅舎の反対側にも駅前広場があるのですが、
こちらへはみらいぶの建物の中央からやや南側にある、
地下道入口から地下道を通っていきます。
五百石駅北側の東側は立山製紙の工場が広がっており、
西側には北陸電力の五百石変電所があります。
立山製紙の工場から1回線の立山製紙線の送電線が、
五百石変電所からは2回線の五百石線の送電線が、
富山地鉄立山線に並行するようになり、
これが寺田驛近くまで続きます。
ただ、何れの送電線も、富山地方鉄道とは関係ありません。
五百石駅は立山町の中心部にあり、
駅の東側が旧市街地、西側が新市街地で、
南側に立山町町役場があります。
また、富山のベッドタウンなので、市街地外側には新興住宅地も多いです。
立山鉄道(立山軽便鉄道)が開通した当初の五百石駅はこの位置ではなく、
今の駅より北北東約300メートルの所にありました。
立山鉄道が富山電気鉄道に合併し、寺田驛方面の路線が開通したとき、
今の位置に移転となりました。
昭和34年から昭和45年の11年間は、
立山町の中心地に相応しい、「立山町」駅と言う駅名だったのですが、
千寿ヶ原駅が立山駅に駅名変更するに合わせて、
誤下車防止に再び五百石駅に駅名を戻しました。
「五百石」と言う地名から石高と言うことは分かるのですが、
由来を調べると、
この辺の原野五百石分の開拓を
加賀藩から許可されたことから来ているそうです。


五百石駅を出ます。
右手は立山製紙の工場敷地です。


右カーブを曲がります。
五百石駅からは富山電気鉄道が開通した区間なので、
古レール流用の架線柱が多くなります。


立山製紙の工場敷地が終わり、踏切を過ぎます。


左カーブを曲がります。


県道6号線と交差します。


1回線コンクリート柱の送電線と、
2回線鉄塔の送電線がずっと、
富山地鉄立山線の線路と並行して通っています。
1回線の方が立山製紙線(T059線)、
2回線の方が五百石線(T054線)です。
立山製紙線の方はLP碍子支持で特徴があり、
送電線柱の一部は富山地鉄の架線ビームも併架しています。




左カーブを曲がり、北陸自動車道の下を交差すると、
田添駅です。

アルペンを目指して・富山地鉄立山線7

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