アルペンを目指して・富山地鉄立山線5

06(T51)、



(いわくらじ)Iwakuraji



立山線だけで見れば、相対式2線の駅です。
駅構内は扇状に広がっていて、
西側に上滝線の島式2線があります。
双方ののりばは短い屋根付き連絡通路で結ばれています。
また、扇状に広がった間の敷地は保線用資材の置き場になっています。
駅全体に昭和初期の懐かしい(エモい)雰囲気が漂っていて、
駅舎も大正時代を思わせる和洋折衷の建物になっています。
この駅は大正10年に、
立山鉄道が立山(たちやま)駅として開業したのが最初ですが、
今ののりばより若干東の元JA支店だった建物付近にありました。
そして5ヶ月後に、
富山県営鉄道(現・上滝線及び立山線の岩峅寺駅~粟巣野駅間)が、
現在の上滝線のりば位置に岩峅寺駅を開業させました。
昭和6年に立山鉄道が、
また、昭和16年には富山県営鉄道が、
富山電気鉄道(現・富山地方鉄道)に合併したのですが、
その過程の昭和11年頃(旧・立山鉄道区間改軌・電化時)に
両駅を統合したようです。
なお、岩峅寺という駅名ですが、
岩峅寺という寺は現在存在していません。
・・・と、言うか芦峅寺もそうなのですが、
何れもこれは雄山神社のことを指しています。
雄山神社はかつて神道だけで無く、
仏教など色々な宗教宗派を祀っていたようです。
これが明治維新の廃仏毀釈により神社だけになって今に至っています。
その雄山神社の前立社壇は、駅の西方500メートル強の所にあります。
雄山神社は岩峅寺の前立社壇、芦峅寺の祈願殿、
立山雄山山頂の峰本社があるのですが、
前立社壇が一番規模が大きいです。
広域合併で今の中新川郡立山町の中心地は五百石ですが、
立山村だった時代はこの岩峅寺が立山の中心地でした。
岩峅寺駅の東方には、
広大なアウトドア施設の立山グリーンパーク吉峰があります。


岩峅寺駅の途中から若干右に振った後、
左カーブになります。
これは、立山鉄道時代からの立山駅を岩峅寺駅に統合する時に出来たもので、
立山鉄道時代は沢中山駅側から真っ直ぐ立山駅に入っていました。


カーブが終わると、長い直線になります。
そして、県道15号線の下を交差します。


水田が広がります。




前方の集落がだんだん近付きます。


間もなく、沢中山駅です。

07(T50)、沢中山(さわなかやま)Sawa-Nakayama


片面1線の駅です。
今は「沢中山」と1つの地名のようになっていますが、
元々は澤(鋳物師沢)と中山の双方の集落の境目に出来た駅から、
双方の地名を合わせて、「沢中山」と言う駅名になりました。
そのため厳密に言えば、
「沢中山」と言う駅名は合成駅名(合成地名)です。
なお、どちらも小さい集落で、駅の利用客もあまり多くありません。


左手は線路に沿って用水路があります。
そして、新婦広域農道の下を交差します。


新婦広域農道と交差すると、
左カーブです。




再び直線です。


左手が道路になります。


集落に入ると釜ヶ淵駅です。

08(T49)、釜ヶ淵(かまがふち)Kamagafuchi


片面1線の駅ですが、かつては相対式2線だったようで、
反対側にはホームが残っています。
その他、昔は現ホームの横に保線用側線があったようです。
なお、「釜ヶ淵」とは駅が出来た当時の村の名前だったのですが、
由来はよく分からず、それらしき淵があった形跡もありません。
ただ、今でも近くに釜ヶ淵用水が流れています。
ここも駅舎はかなり古く、和洋折衷のような木造建造物になっています。
富山地方鉄道は古い駅舎を頑張って残し続けていることが凄いところだと思います。
釜ヶ淵駅まで来ると、所々新興住宅地も見られるようになります。


釜ヶ淵駅を出ると直ぐ右カーブです。




集落を抜け、再び水田になります。




長閑です。


屋敷林を過ぎると集落に入ります。


間もなく、下段駅です。


アルペンを目指して・富山地鉄立山線6

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