アルペンを目指して・富山地鉄立山線3
03(T54)、有峰口(ありみねぐち)Arimine-guchi
島式2線の駅です。その他右手に側線があった跡があります。
鉄道写真を撮るのには丁度良い駅なのか、
ご覧のように休日は鉄道写真ファン(撮り鉄)らしき人物が多く見られます。
小見の集落の中心にある駅なので、
昭和45年までは「小見」と言う駅名でした。
駅舎はリノベーションされていますが、
上方に「驛見小」の表示が残っています。
有峰への道路の整備に伴い、
今の駅名になった訳ですが、
山の中の「○○口」駅は大抵○○まで遠いと言う法則があり、
(三峰口駅とか万座・鹿沢口駅、榊原温泉口駅など・・・。)
この有峰口駅も有峰湖などがある有峰地区まで15㎞以上離れています。
(有峰林道整備前は20㎞程あり、狭い道だった。)
有峰地区は元々は人が住んでいたのですが、
有峰ダム完成により人がいなくなり、
現在は湖畔に有峰森林文化村などの施設やキャンプ場などがあります。
(有峰林道は更に先の飛騨市神岡まで抜けられますが、
鉄道利用者は関係ないので割愛します。)
有峰までは一応、富山駅や有峰口駅前からバスが出ているのですが、
富山駅発着(有峰口駅前経由)が1往復、
有峰口駅前発着が1往復の計2往復しか本数が無く、
冬期は道路が閉鎖されるため、運行されていません。
しかも、予約制なので、満席だと乗れない可能性もあります。
そのため、事前に計画を立てるか、
タクシーで行くことも覚悟する必要があります。
なお、有峰まで行かなくても亀谷温泉は比較的近く、
南東2㎞の所にあるため、徒歩でも行けます。
有峰口駅を出ると、
県道182号線の上を交差し、右カーブです。
富山地方鉄道の小見変電所の横を通ります。受電は普通の配電線です。
昭和12年に架けられた千垣橋梁で常願寺川を渡ります。
渓谷美が臨めるため、
電車は態と時速25㎞に落として渡ります。
なお、この橋梁は横から見るとスパン・ドレルブレースドアーチ鉄橋になっていて、
明治時代から昭和初期に活躍した
小池啓吉(1895年・明治28年~1972年・昭和47年)
と言う鉄橋技術者が設計しました。
小池は主に東京の橋の設計に携わったようですが、
出身は富山県の高岡市なので、
その関係でこの橋梁を設計したのだと思われます。
なお、スパン・ドレルブレースドアーチ鉄橋は、
下部のアーチリブ幅が広いため、
ガーダはハの字になっています。
なので、ガーダが斜めなのは元々で、
経年で狂った訳ではありません。
千垣橋梁から見た常願寺川です。
常願寺川は急流で有名な川で、
地図帳の河川勾配図などでよく引き合いに出される川です。
上流側にある県道182号線の芳見橋もアーチ橋ですが、
構造は逆ローゼ橋で異なります。
常願寺川を渡ると左カーブになります。
カーブが終わると千垣駅になります。
有峰口駅~千垣駅間は0.6㎞で比較的短い区間です。
04(T53)、千垣(ちがき)Chigaki
片面1線の駅です。
駅前には家があまりなく、千垣の集落は駅の西側にあります。
芦峅寺の集落は有峰口駅、千垣駅どちらからでも行けますが、
僅かに千垣駅利用の方が近いです。
芦峅寺には雄山(おやま)神社中宮祈祷殿と、
富山県立立山博物館などがあります。
なお、雄山神社は前立社壇(まえだてしゃだん)が岩峅寺にあり、
峰本社は立山雄山の山頂にあります。
千垣駅を出ます。
千垣駅から鉄柱の架線柱が見られますが、
このタイプの架線柱は旧・富山県営鉄道区間で多く見られます。
(大正時代に開通した区間・南富山駅~千垣駅間)
そのため、富山県営鉄道時代から使われているものと思われます。
右カーブが続きます。
県道6号線の上を交差します。
左カーブです。
富山平野に向かって走っているはずですが、
上り勾配になっています。
左カーブが終わり、右カーブに切り替わります。
右カーブが終わると、開けます。
付近は草ぼうぼうですが、
昔は広大な水田があったようです。
ススキの中を走ります。
元水田地帯を抜け、再び木々が多くなります。
右手に階段のあるコンクリート構造物が見られますが、
これが何なのかは分かりません。
千垣トンネルに入ります。
千垣トンネルを出ます。
杉林の合間を走ります。
右カーブを曲がります。
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