穀倉地帯を抜けて・富山地鉄本線7

14(T28)、東三日市(ひがしみっかいち)Higashi-Mikkaichi


片面1線の駅です。
南に黒部市の市民交流センター「あおーよ」があります。
更に南には黒部市役所があり、黒部市の行政の中心地になっています。


県道314号線と交差します。


周囲は市街地ですが、
所々水田もあります。


右手には黒部市役所の職員専用駐車場が広がっています。


右カーブになります。


構内が広がると、電鉄黒部駅です。

15(T27)、電鉄黒部(でんてつくろべ)Dentetsu-Korobe


2面3線の駅です。
その他、かつて車庫があった名残で、駅の南東側に保線用側線が、
北東側に留置線と検車庫があります。
基本、一番南側の線を宇奈月温泉駅方面、
中線を電鉄富山駅方面(構内踏切の遮断の関係で右側通行になっています。)、
一番北側の線は一部列車の使用と、
運用の間の車両留置に使われています。
ホームは2面あるのですが、上下線間のホームは宇奈月温泉駅方面、
上り線、北側の線間のホームは電鉄富山駅方面になっています。
かつては北側の線の北側にもホームがあったのですが、
現在は撤去されています。
ただ、各々のホーム上に架かっているホーム上屋根は残っているので、
土台部分にその名残が見られます。
駅が出来た当初は駅名が「西三日市」だったのですが、
三日市(現・黒部)駅から東に走ったところにある駅なので、
駅名が矛盾していました。
ただ、駅自体は三日市の市街地の西側にあるので、
駅名としては「西三日市」と言うのは間違っていませんでした。
逆に国鉄が北陸本線を建設した時、
三日市の市街地の外れに造った駅を、
「三日市の玄関駅」だからと言うことで三日市駅と言う駅名にしたので、
矛盾が生まれてしまったわけです。
この矛盾は30年近く続いたのですが、
富山地方鉄道側がこの駅を電鉄桜井駅に改名したため、
その矛盾が解消されました。
一方、三日市駅も昭和31年に「黒部」駅に駅名変更しました。
電鉄桜井駅が今の駅名になったのは平成元年で、
文字通り黒部市街地の中心駅に相応しい駅名になりました。
駅の南側が市街地、北側が新興住宅地で、
駅の南直ぐの場所に三島神社があります。


電鉄黒部駅を出ます。


架線柱の幅が複線分あるのですが、
これは黒部駅への連絡線があった名残です。
この連絡線は元々黒部鉄道の路線で、
富山地方鉄道(富山電気鉄道)に合併した後も
しばらく支線として残っていたのですが、
昭和44年に廃止されました。


市街地を抜けます。


複線分の架線柱が終わります。
終わった所で黒部駅への支線が分岐していました。


勾配を上ります。


勾配を上りきる寸前で県道122号線が下を交差します。


続いてあいの風とやま鉄道線(北陸本線)の上を交差します。
ここで乗換駅を造ると便利なのですが、
あいの風とやま鉄道から見ると、
黒部駅を出たすぐのところなので、

造ることが出来ないのだと思います。
要は「乗り換えは魚津で!!」と言うことです。


左カーブを曲がりながら勾配を下ります。
前方の盛土上には国道8号線が通っています。


国道8号線の高架橋が近付きます。


堀切川を渡り、国道8号線の下を交差します。


石田の住宅地に入ります。
この写真の踏切の先で富山地鉄石田港線と平面交差していました。




カーブが終わります。


小学校のグラウンド横を走ると電鉄石田駅です。

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