滋賀県縦断・近江鉄道本線1

近江鉄道本線は米原駅から貴生川駅までの47.7qの路線です。
開通時から会社名が近江鉄道で、
明治31年に彦根駅と愛知川駅を開通したのを皮切りに、
明治33年に彦根駅から貴生川駅まで開通しました。
全線電化後、昭和6年に米原駅〜彦根駅間が開通し、
今の形になりました。
昭和18年に当時の経営者の出身地と言うことで、
箱根土地(コクドを経て現・西武ホールディングス)の系列になり、
翌年の昭和19年には八日市鉄道(現在の八日市線の部分)を合併しました。
近江の中小都市を結ぶ路線としてそれなりに活気があったのですが、
昭和の終わり頃からモータリゼーションやJR東海道本線のスピードアップ、
各沿線自治体市街地のストロー現象による人口減少などで利用客が減少し始め、
苦しい状況になりました。
昭和61年、合理化の一環で八日市駅〜貴生川駅間を中心に
LEカー(レールバス)の運転に切り替えてみたのですが、
ラッシュ時の混雑に対応できないこと、
専用の給油施設が必要なこと、
思った以上に車体寿命が来るのが早かったことなどから、
平成8年にすべて電車運転に戻しています。

ダイヤは米原駅と貴生川駅の全線を走破する列車が、
午前中〜昼頃まで設定されているのですが、
それ以外はバラバラで、彦根駅、高宮駅、
八日市駅でそれぞれ乗り換えになる場合があります。
また、行き先も米原駅・彦根駅〜多賀大社前駅
米原駅・彦根駅〜近江八幡駅が朝夕を中心に混ざっていて、
結構複雑です。
基本、朝夕は約30分毎、日中は60分毎の運転で、
米原駅〜彦根駅間と八日市駅〜貴生川駅間の休日ダイヤは、
一部間引かれているので、大部分が60分毎になっています。
所要時間は米原駅と貴生川駅を全線走破する列車でも約100分かかります。
全線単線とは言え、これは少々時間がかかりすぎです。
利用者からみれば「不便だ」と思われても仕方が無いダイヤなので、
利用客アップのために、将来的には最低30分毎の運転にし、
スピードアップ、行き先の整理をした方が良いと思われます。

本線は全線に渡り、
自転車の持ち込みが出来るのですが、
彦根駅だけは駅の構造上、持ち込みが出来ません。
なお、休日は全列車持ち込み可能ですが
平日は日中のみとなっています。

車両面は同じ西武グループである、西武鉄道の中古車が殆どですが、
運転台のブレーキハンドル等が西武鉄道とは別のものになっていて、
一部の列車は連結妻面の袖部分は接触防止に切り取られている等の違いがあります。



貴生川駅〜八日市駅間は水口・蒲生野線と言う愛称が付けられています。

25(OR37)、貴生川(きぶかわ)Kibukawa


貴生川駅は島式2線です。
その他、JR草津線のホームとの間に使われていない1線があります。
この1線は線路が両端とも繋がっていないのですが、
かつては車止め側で本線の線路と繋がっていたようです。
JR草津線と信楽高原鉄道は橋上駅舎を通じて乗り換えできますが、
近江鉄道のみ改札口は独立してあります。
何れの路線も列車の本数が少ないのですが、
それぞれうまく連絡しているので、
極端に待たされることは少ないです。
駅のホームからはとある宗教団体の建物が見えます。


島式2線のうち、北側の1線は2本が縦列して停車できるようになっています。
ただ、車止め側は駅事務室の建物でホームが狭いため、
運用合間の電車の留置に使われています。


貴生川駅の車止め方向です。
ホームから先、100メートル程線路が続き、そこが車止めになっています。
かつては更に先まで線路が続いていて、
JR草津線への渡り線があったようですが、
現在は撤去されています。


貴生川駅を出ます。
直ぐに右カーブで左手のJR草津線と分かれます。


低い盛土区間を走ります。


甲賀(こうか)貴生川の市街地が続きます。


新しい家と昔ながらの家が共存しています。


カーブが終わる寸前で、貴生川中通りと交差します。


直線になると、甲賀貴生川の市街地を抜け、田園地帯になります。


右手に丘陵が迫ります。


新町貴生川幹線が線路横を少しの間だけ併走します。


盛土になり、左カーブです。


一旦、浅い窪地を橋梁で渡ります。


その後、野洲川を渡ります。


野洲川を渡ると狭い道路が下を交差し、
右カーブになります。


左手は水口中学校の敷地、右手はホームセンターの敷地になっています。


県道535号線と交差します。


間もなく、水口城南駅です。

滋賀県縦断・近江鉄道本線2

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