都心から小江戸へ・西武新宿線9
22(SS22)、所沢(ところざわ)Tokorozawa

所沢駅は3面5線の駅ですが、新宿線だけで見ると相対式2線です。
上り線はかつてのホームのない中線で、
上りホームを仮設のような形で拡幅して、旧上り線を無くし、
中線を上り線にしました。
この間まで、下りホームは旧西武鉄道時代からのものをかさ上げしただけの状態、
上りホームは拡幅時の仮設の状態(土台は足場パイプを繋げただけのもの)
でずっと使い続けていたのですが、
橋上駅舎化工事に合わせてホームも改修しました。
橋上駅舎化により、跨線橋の混雑が無くなり、
駅ナカ店舗も出来、綺麗になったのですが、
今まで下りホームに直結していた西口改札口は、
橋上駅舎の統合改札口になったので、
下り列車からの所沢駅西口利用客は逆に不便になりました。
新宿線は池袋線との乗り換え客が多く、約4割の乗客が入れ替わります。
そのため、所沢駅からふたたび電車が混雑します。
〜〜〜〜〜
余談ですが、旧西武鉄道と武蔵野鉄道時代は、お互い競争相手だったので、
所沢駅の切符の販売をめぐり騒動になったという逸話があります。

所沢駅を出ます。池袋線からの連絡線が合流します。

カーブを曲がります。やや浅い切通しです。

そして真っ直ぐになり、東川を渡ります。
ここら辺に所沢御幸町駅があったのですが、
今は駅跡がよく分かりません。
なお、所沢御幸町駅の廃止後すぐに北所沢駅(現・新所沢駅)が出来たので、
新所沢駅は所沢御幸町駅を移設して出来た言う歴史的解釈をする方もいます。
しかし、所沢御幸町駅と新所沢駅の間に航空公園駅が出来たので、
今は、所沢御幸町駅と新所沢駅は歴史上切り離されています。

国道463号線と交差すると、右手には所沢航空記念公園が広がります。

き電吊架線方式シンプルカテナリーからツインシンプルカテナリーに戻ると、
線路を右にふります。航空公園駅がなかったときは真っ直ぐだったのですが、
西側は道路で駅ホーム用地を確保することが出来なかったので、
このような線形になりました。
23(SS23)、航空公園(こうくうこうえん)Koku-koen

相対式2線の駅です。
この駅は昭和62年にできた駅で、
将来の西武鉄道標準駅設計のモデル駅として建設されました。
駅開設当時は、どの駅にもなかったエレベータやエスカレータが完備されていて、
広いコンコースや小売店舗・集会場つきの洒落たデザインの橋上駅舎など、
西武鉄道の駅では良い意味で異質な駅でした。
駅の西側は昔からの住宅地で雑然としています。
東側はかつての米軍基地跡(当時は基地への引込み線がありました。)で、
その跡地を利用して広いロータリーと大型マンションが建設されました。
南東には所沢航空記念公園があり、駅を出てすぐ前に公園の入り口があります。
また、東側には所沢市役所など行政関係の施設の他、
米軍通信基地や日本の空域の70%を管制している東京航空交通管制部など、
かなり重要な機関が集中していて、ここら辺に何かあるとかなり大変なことになります。
所沢航空記念公園は日本で最初に飛行機が飛び立ったところで、
所沢と飛行機はかつて密接な関係がありました。
東京航空交通管制部が所沢にあるのもこれが起因しています。
この駅の駅名は「航空公園」駅で所沢航空記念公園の通称名を使っていますが、
これは親しみを持つ目的とともに、
電車の行き先表示器の関係で西武鉄道の駅名は5文字までと言う制限があるためです。
(ただ、今はその制約はなくなっているかもしれません。)

航空公園駅を出ると線路を左にふり、元の位置に戻ります。

線路は真っ直ぐなります。直線は入曽駅の先まで続きます。

保線用側線が右手にあります。
かつては米軍基地からの引込み線がここら辺で合流していました。

新所沢駅近くになると、保線用側線が増えますが、
すぐに整理されて新所沢駅になります。
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