東京外環状・JR武蔵野線1

JR武蔵野線は府中本町駅から西船橋駅までの71.8qの路線です。
しかし、それは定期旅客営業している区間だけで、
他に貨物専用として、鶴見〜新鶴見信号場〜府中本町間の28.8q、
新小平〜国立間の5.0q、西浦和〜別所信号場〜与野間の4.9q、
南流山〜馬橋間の3.7q、南流山〜北小金間の2.9q、
そして、現在は営業キロに含まれていませんが(構内側線扱い)、
尻手〜新鶴見信号場間の1.5q、
新秋津〜JR西武分界点間の1.6qと、武蔵浦和〜別所信号所間があります。
また、市川塩浜〜西船橋間の5.9qと、
西船橋〜南船橋間5.4qはJR京葉線の区間ですが、
この区間は武蔵野線の電車で運転されています。
武蔵野線は明治43年、東京砂利鉄道が国分寺〜多摩川原(のち、下河原貨物駅)間の
7.1qを開通したのが最初です。
社名から分かる通り、多摩川で採取した砂利を運搬する貨物専用線でした。
大正9年に鉄道省に買収され、中央本線の支線となりました。
昭和9年、府中に東京競馬場が開設されたのと同時に東京競馬場に行く支線を造り、
終点に東京競馬場前駅が開設され、旅客営業が始まりました。
その後しばらく黙々と国鉄中央本線支線(通称・下河原線)として営業していたのですが、
高度経済成長期に山手貨物線が逼迫状態になったため、
山手貨物線を通らない、新たな幹線間を結ぶ貨物専用線が必要になり、
現在の武蔵野線計画が持ち上がりました。
昭和48年に武蔵野西線と武蔵野東線の府中本町〜新松戸間が「武蔵野線」として開通し、
重複する下河原線は武蔵野線の営業キロに入れられ、事実上廃止となりました。
当初は旅客営業を行なう予定は無かったのですが、
鉄道空白地帯だったので、おまけ程度に旅客輸送も行なうことになりました。
しかし、沿線は殆ど田園地帯の未開発地域で利用客も少なかったので、
日中40分毎の運転と言う超ローカルダイヤでした。
昭和51年には武蔵野南線の
新鶴見信号場〜府中本町間も「武蔵野線」として開通しましたが、
JR南武線と重複する区間なので旅客営業は行なわれず、
この区間は貨物専用線となりました。
昭和53年には小金線の新松戸〜西船橋間が「武蔵野線」として開通し、全通しました。
開通当初は貨物路線として貨物列車が活躍していたのですが、
次第に貨物輸送が衰退し、
逆にバブル期に「第二山手線」として不動産会社各社が武蔵野線に注目し、
大規模な宅地開発が進められたため、武蔵野線の旅客者数が徐々に増えてきました。
旅客列車は改正の都度に増発され、今は日中10分毎が基本になっています。
現在でも貨物列車が頻繁に通る路線ですが、
旅客列車の本数が増えたため、一部の貨物列車は夜間に走らせるなどして、
ダイヤのやりくりに苦労している状態です。
昭和63年、JR京葉線の新木場〜蘇我間が開通した時に、
武蔵野線の京葉線乗り入れが始まりました。
平成2年に京葉線が東京駅まで開通すると、
京葉線内に通過駅のある「快速」が運転開始されました。
(現在は各駅停車。また、当初の休日は八丁堀駅も通過していました。「快速むさしのドリーム」)
武蔵野線沿線は現在でも宅地開発が進められていて、
利用客が増えています。
また、東京から放射状に延びる幹線や民鉄路線に乗り継ぐ場合、
わざわざ混雑する東京都内に出て行くより速くて便利で快適なので、
武蔵野線を使う場合が多いです。
武蔵野線は通常各駅停車しか走っていませんが、
駅間距離が比較的長いので走行速度が高く、意外と速く移動出来ます。
ただ、宅地開発と共に新設駅が増えつつあるので、
将来的には線内も快速電車の新設が必要になるかもしれません。



01(JM35)、府中本町(ふちゅうほんまち)Fuchu-Hommachi


武蔵野線の府中本町駅は、
南武線の上下線に挟まれた島式2線なのですが、
その外側に貨物列車用の上下通過線があります。
線路配線の関係でこの駅では乗降分離を行なっており、
ホーム東側の線で一旦乗客をすべて降ろした後、
南多摩駅よりの引き上げ線に一旦入り、
今度はホーム西側の線にとまり、
乗客を乗せます。
南武線との乗り換えは上下線で異なっていて、
立川駅方面は階段をのぼっておりるだけなのですぐに出来ます。
しかし、川崎駅方面は南武線ホームへの階段が橋上駅舎から南に離れた位置にあるため、
東京競馬場へ行く連絡道の下の通路を少し歩かなければなりません。
平日は南武線との乗り換え客が多いのですが、
東京競馬場の最寄り駅なので、
休日は真っ白い競馬新聞を持ったギャンブラーの利用が多くなっています。
東京競馬場の開催日は臨時改札口が開かれ、
東京競馬場への連絡通路を通って、
東京競馬場に行くことが出来ますが、この通路は結構長さがあります。


府中本町駅を出ると貨物列車通過線と合流し、
すぐ府中トンネルに入ります。
車内からは全く分かりませんが、
下ではJR南武線の川崎駅方面の線路が交差しています。


府中トンネルを抜けると掘割になり、
緩いのぼり勾配をのぼります。


ループのある道路の下を交差します。
左手には東芝への貨物側線があります。
この貨物側線は旧・下河原線の線路を転用しています。

02(JM34)、北府中(きたふちゅう)Kita-Fuchu


昭和31年に下河原線の中間駅として開設された、
武蔵野線単独駅では一番古い駅です。
西側は東芝の府中工場が広がっていて、
東芝の貨物側線があります。
東芝の貨物側線は東芝の専用線に繋がっているのですが、
東芝の専用線は交流電化のため、
電気機関車が使えず、専用線に車両を出し入れする際には、
ディーゼル機関車が必要になります。
橋上駅舎と東芝の工場は跨線橋で結ばれていて、
東芝社員専用通路になっています。
南西側にはかつて日本製鋼所の工場があったのですが、
現在は無くなり、府中インテリジェントパークとして、
主に金融系のビジネスビルが建っています。
ただ、地名は「日鋼町」として残っています。
住宅は専ら東側で、中規模の団地が点在しています。
北東側に府中刑務所があり、高い壁に囲まれたものものしい雰囲気になっています。


北府中駅を出ると、旧下河原線の線路である東芝側線に近付きます。


東芝側線とほぼ同じ高さになったところで、
側線と合流します。


東芝側線の北側は保線車両置場になっています。
この先東八道路が下を交差します。


左手に武蔵国分寺尼寺跡の緑地が広がります。


若干線路を左にふり、切通しに入ります。


カーブを曲がりながら都道145号線の下を交差します。


貨物列車退避用の中線が始まると、西国分寺駅です。
かつてはここら辺から国分寺駅方面に行く下河原線の線路が右手に分かれていました。
また、右手のマンション群は昔、中央鉄道学園の敷地でした。

東京外環状・JR武蔵野線2

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