
アジア最古地下鉄・東京メトロ銀座線1
注※銀座線開通時の「東京地下鉄道」と紛らわしいので、
基本的に「東京地下鉄株式会社」は「東京メトロ」と表記します。
東京メトロ銀座線(3号線)は、渋谷駅から浅草駅までの14.2qの地下鉄です。
東京メトロで唯一、民間企業が全線開業させた路線で、
(東京メトロ副都心線は、小竹向原〜池袋間が営団開業区間)
東京で一番古い・・・、いや日本で一番古い・・・、いやアジアで一番古い地下鉄です。
地下鉄の父、早川徳次(はやかわ のりつぐ)が鉄道院の嘱託時代、
ロンドンの地下鉄を見て感動し、「東京にも地下鉄は必要」だと確信しました。
東京に地下鉄を走らせるべく、各有力者に協力を求めましたが、
最初のうちは「地盤の軟弱な東京に地下鉄は無理だ」「皇居に工事の震動が来る」
「早川は嘘つきで変人だ」と言ってなかなか相手にされませんでした。
それでも、なんとか有力者を集め、免許を取得しました。
そして、早川は「東京地下鉄道」と言う会社を設立し、
最初は上野〜新橋間の建設を始めようとしましたが、
関東大震災や株の暴落で資金難になり、
とりあえず距離が短くて採算の取れる浅草〜上野間の建設にとりかかりました。
日本で始めての地下鉄工事で色々とトラブルに見舞われましたが、
昭和2年12月にアジアで最初の地下鉄が開通しました。
開通当初は物珍しさに多くの乗客が押し寄せたそうです。
開業時の車両は1000形電車で、
ドイツのベルリン地下鉄で採用されていたオレンジ色の塗装にしました。
採用理由は地下と言う暗い区間での視認性を向上させるものでした。
当時はこげ茶色の電車が当たり前だった時代なので、
派手な色に人々は驚いたそうです。
(そのオレンジ色はその後、銀座線のラインカラーに採用されました。)
その後、順調に延伸を重ね、
昭和9年に新橋駅まで開通したところで建設がストップしました。
一方、渋谷駅から新橋駅までは、
五島慶太率いる東京高速鉄道が昭和14年までに開通させました。
東京高速鉄道は、東京地下鉄道に乗り入れるため、
規格を合わせていましたが、東京地下鉄道側が乗り入れを拒否し、
しばらくの間、双方が接続する新橋駅は、
一旦地上に出ての乗り換えと言う不便な状況になっていました。
結局は五島慶太が東京地下鉄道をのっとり、
渋谷〜浅草間直通運転が実現しました。
〜〜〜〜〜
渋谷〜浅草間以外の地下鉄はなかなか着工できず、
東京市(現・東京都23特別区)も資金が足りず、
自己で地下鉄を建設をすることができませんでした。
そんな中、「帝都高速度交通営団法」が制定され、
特殊法人「帝都高速度交通営団(以下、営団地下鉄)」が設立されました。
(営団地下鉄は最初でこそ民間の株式も入っていましたが、
昭和26年に国鉄と東京都の株式だけになりました。)
東京地下鉄道と東京高速鉄道は営団地下鉄に路線を譲渡し、
渋谷〜浅草間は営団地下鉄の路線になりました。
戦後、営団地下鉄最初の新規路線、池袋〜御茶ノ水間が開通し、
既存の渋谷〜浅草間は「銀座線」と言う愛称になりました。
その後、時は流れ平成16年、帝都高速度交通営団は解散し、
銀座線は新しい会社、東京地下鉄株式会社に引き継がれました。
(その時、営団地下鉄銀座線は東京メトロ銀座線に名前を変えました。)
東京メトロ銀座線は開業が古いため、車両のサイズが小さいのが特徴ですが、
走っている区間の殆どがドル箱区間なので、終日混雑しています。
そのため、日中でも3分毎に運転している便利な路線となっています。
また、第3軌条式になっているため、
東京メトロ丸ノ内線以外の路線には乗り入れできません。
昔、銀座線の電車は第3軌条のセクションで停電になり、
車内が一瞬真っ暗になっていました。
当時は補助電源装置がなかったからです。
01(G01)、渋谷(しぶや)Shibuya

ホームが幅広い、島式2線の駅です。
ホーム屋根は肋骨のような形状の柱で支えられたドーム屋根になっています。
駅はSHIBUYASKYや渋谷ヒカリエの北隣にあります。
北側の線(写真左側)はJR渋谷駅を挟んで反対側にある、
渋谷マークシティ内にある車庫に繋がっています。
かつて、銀座線のホームはJR渋谷駅上にあったのですが、
渋谷の再開発で東側に移転しました。
そのため、営業キロが14.3qから14.2qに短縮されています。
東京メトロ半蔵門線、東京メトロ副都心線の乗り換えは、
地上3階の銀座線に対し、
半蔵門線は地下3階、副都心線は地下5階にあるため、
また、構造が複雑なため、便利ではありません。
半蔵門線と乗り換えはここではなく、
次の表参道駅の方が便利です。

車止め側には車庫があります。
昔は地上にあったため、車両が見られたのですが、
今は渋谷マークシティの中にすっぽりと入ってしまい、
車庫の様子が分からなくなってしまいました。

渋谷駅を出ます。
少しの間、地上区間ですが、人工地盤に覆われているため、
隙間から僅かな光が入るだけです。
台地にぶつかると完全に地下に入ります。
02(G02)、表参道(おもてさんどう)Omote-Sando

表参道駅は2面4線になっていて、
外側を半蔵門線が、内側を銀座線が使っています。
そのため、半蔵門線押上駅方面と銀座線浅草駅方面、
半蔵門線渋谷駅方面と銀座線渋谷駅方面は同一ホームでのりかえができます。
開通に40年離れている路線同士が同一ホームで乗り換えられるのは、
不思議に感じられますが、
銀座線は元々この位置に駅があったのではなく、
ここより渋谷駅よりにありました。
半蔵門線と同一ホームで乗り換えるようにするため、
昭和51年に移転しました。
なお、開通当初この駅は「青山六丁目」駅でした。
しかし、青山○丁目駅が3駅もあり、紛らわしいことから、
「神宮前」駅に駅名を改称しました。
その後、千代田線が開通し、明治神宮に近いところに明治神宮前駅を造ったので、
今の「表参道」駅に再度駅名を変更しました。
東京の地下鉄で2度駅名変更しているのは珍しいと言えます。

渋谷駅方面のホームです。
浅草方面ホームとともに、地上に出るには一旦階段を降りて改札を通り、
また階段をのぼるという構造になっています。
これは表参道駅が比較的浅い位置にあるからです。

表参道駅を出ます。
銀座線が16メートル6両編成に対し、
半蔵門線が20メートル10両編成と2倍以上編成の長さが長いので、
しばらくホームが続きます。
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おまけ「移転前の旧・渋谷駅」

かつての東京メトロ銀座線の渋谷駅は東急百貨店の3階にありました。
東急百貨店内にあったのは、
元々東京高速鉄道は東急の傘下だったからです。
3階にあるため、旧・銀座線渋谷駅は地上面からの高さが一番高い駅でした。
旧ホームは相対式2線で、乗降を分離していました。
そのため、南側の線に到着した列車は乗客を降ろした後、
一旦、マークシティ内の車庫に引き上げた後、
北側の線に折り返していました。

移転前の渋谷駅を出たところです。僅かな距離ですが、
銀座線の営業路線上で唯一の地上区間(明かり区間)を走っていました。
現在、この部分に今の渋谷駅があります。

すぐに台地にぶつかり、トンネルに入っていました。
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