青梅変電所と豊岡変電所6


そして、飯能変電所に到着します。
飯能変電所は青梅変電所から来る飯能線と、
中東京変電所から来る高麗川線を引き込んでいます・・・。
・・・が!?


よく見ると引き込んでいるのは高麗川線(右)だけで、
ここでも飯能線(左)は切られています。
飯能連絡線時代と、仮・川寺線時代(後述)時代は繋がっていたのですが、
飯能線が完成した頃に切られてしまいました。
しかし、高麗川線が工事などで使えない時は一時的に飯能線を繋げて使います。


門型鉄塔には断路器があります。
私が訪れた時は1回線の断路器が遮断されていました。


引き下げ後は、遮断器、断路器を通り、一旦地中に入ります。


再び地中から引き上げられ、
かご型ビームのコンクリート柱を通り、
変圧器に向かいます。


そして、変圧器に引き込まれます。
変圧器のブッシング横の金網に、
「60000Vの安全距離75センチメートル」と書かれているのですが、
それくらいの距離で大丈夫なのでしょうか・・・?


変圧器は明電舎製ですが、
結構使い込んだ古いタイプです。
所々錆が浮き上がっています。
雨の後のせいか横にある乾燥剤は結構変色していました。


木々に囲まれて殆ど見えないのですが、
変圧器の後ろに高圧開閉装置があります。



おまけ・飯能連絡線から飯能線へ

かつて、飯能線は飯能連絡線と言って、
送電ファンに人気のある送電路線でした。
これは、飯能連絡線が1回線で古い鉄柱だったことが起因しています。
しかし、飯能市中心部の電力需要拡大に伴い、
高麗川線ばかりに頼っていられなくなりました。
そこで、1回線の飯能連絡線を2回線の飯能線に強化する工事を行ないました。


最晩年の飯能連絡線は殆ど機能していない状態で、
西武飯能変電所は基本的に高麗川線系統から引き込んでいました。
しかし、飯能連絡線は高麗川線のバックアップのため残していました。
飯能連絡線は謎の路線で、
青梅変電所が出来る以前からあったと思われる路線です。
・・・と、言うと青梅変電所が出来る以前はどこから来ていたのか疑問になります。
直接黒部幹線から分岐していたのか、
それとも今の昭島線の残党だったのか、
どちらにしても今となってはこの事実は迷宮入りになっています。
※昔の航空写真を見たところ、
東電の小作変電所から来ていた路線だったようです。
と、言うことは、青梅変電所から先は今の新町線と言うことになります。


川寺変電所新設に伴い、
今の飯能線17号鉄塔で飯能連絡線を切り離し、
西武飯能線分岐鉄塔から川寺変電所間は一時的に川寺線になりました。
しかし、この期間は短く、
まもなく飯能連絡線の飯能線化工事が始まりました。


飯能線になってからは、
飯能線を飯能変電所手前で切って、
西武飯能変電所と川寺変電所は青梅変電所から引き込む形になりました。
それと同時に、西武飯能線分岐鉄塔から飯能線17号鉄塔間は飯能線になりました。

青梅変電所と豊岡変電所7

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