
月鏡徒然草・24年12月
北九州の中学生殺傷事件での、とある鉄道ファンのブログ投稿について(2024年12月24日) |
福岡県北九州市のファーストフード店で起きた中学生殺傷事件で、
千葉県に住む鉄道ファンでかつ、
鉄道系ブログサイトを運営する者(以下「A」とします。)が、
被害者を侮辱するような投稿をし、
被害者関係者の心に深い傷を負わせました。
同じ鉄道ファンの私としても、
こんな投稿は許されるものではなく、
あってはならないことだと思います。
被害者関係者の方々には同じ鉄道ファンとして深くお詫び申し上げます。
そして、鉄道ファン全体で、こういった鉄道ファン、鉄道サイトを出さないよう、
真剣に取り組まなければならないと思います。
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今回の件で問題になったA氏のブログサイトは過去に私も拝見したことがあります。
その頃はまだ真面目に鉄道関係のブログをやっていて、
特段、違和感等はなかったのですが、
2020年頃から問題投稿が増えてきたようです。
2020年と言えば丁度、新型コロナウイルスが蔓延していたときで、
世の中は殺伐とした雰囲気の中、
ネット内では嘘情報などが沢山出回った時でもあります。
A氏はやり場のない閉塞感の中から、
問題投稿を行い、それをはけ口にしていたようです。
特に多い問題投稿が、障碍者を侮辱する発言や、
命を軽視するような投稿です。
ただ、このA氏自身も発達障碍を患っており、
一連の問題投稿は、
(後述でしますが、)自身の自戒の面もあるかと思います。
いつもこの日記で書いていますが、
鉄道ファンは発達障碍をもった者がかなり多く、
コミュニケーション能力や人の気持ちを考える能力に欠ける者もいます。
そういった者が悪気は無いながらも迷惑行為を行い、
鉄道沿線住民や、他の鉄道利用者、
鉄道事業者に迷惑をかけているのは事実です。
ただ、一つ言いたいのは、
こういった障碍者の問題を、
「鉄道ファン(鉄オタ)」と一括りにして、
問題をすり替えるような論調だけは止めていただきたいと、
時事系を扱う者やマスコミには強く言いたいと思います。
今回の投稿は、炎上を画策し、
アクセスアップを狙ったという意見が多いです。
確かに、炎上すればアクセスが上がり、
アクセス数で広告収入が増えるような仕組みにしているサイトやSNSは、
広告収入が増えることは誰でも分かっています。
しかし、それを大半の人はやらないのは、
そうすることによって誰かが傷ついたり、
嫌な思いをするからです。
残念ながら発達障碍の人は、
人の気持ちを慮ることが欠如している人もいます。
なので、平気で人を傷つけることが言えてしまうのです。
それどころか、「それの何処が悪い」と開き直ってしまうのです。
ただ、今回の件で一部の方は、
「お前が刺されて殺されれば良かったんだ。」とか、
「このクズ鉄が。」とか言っていましたが、
これを言ってしまうと結局は、
このA氏と考えが同じことになってしまいます。
確かに、A氏の書いた内容は酷いもので、
被害に遭われた中学生の家族や友人の心に深い傷を負わせることになります。
見ていて不快な投稿で、腹立たしくもなるかと思います。
だからと言って、「お前が死ね。」とか言って同じ土俵に乗ってしまうと、
相手の思うつぼになってしまうのです。
逆に言えばA氏はこんなことをサイトのブログで書かなければ注目されない、
可哀想な人間なのです。
実を言えば、私は今回というか、今までのA氏の問題投稿は、
障碍者や被害者に向けたものでは無く、
自身に向けて書いたものだと思っております。
このA氏は普段から自身に無価値感を感じていて、
自分の居所が無いのだと思います。
この心の叫びが相手の攻撃に変換されてしまったのだと思われます。
今までの問題投稿の主語をA氏に変えると、
なんとなくA氏の実像が分かる気がします。
勿論、A氏の投稿を正当化するものではなく、
許しがたいものなのですが、
A氏に誰か真剣に寄り添える者がいればこんな投稿をしなかったのだと思います。
これはA氏だけでなく、この事件の犯人である、
平原(ひらばる)政徳容疑者(43)にも言えることだと思います。
人間、社会から阻害されて孤独になると自身に無価値感を感じ、
自暴自棄になってしまう傾向があります。
(一人でいるのが好きで自ら孤独になるのとは異なります。)
今の日本はどんどん転落しており、
貧富の差も拡大しています。
そういった社会になりつつあることを我々は自覚し、
よりよい社会にするようにして、
明るい未来にしていかないと、
どんどん不幸が積み重なってしまうと思います。
大手新聞社主筆の死去について/ネットカジノやオンラインゲームの常習性と規制について
(2024年12月20日) |
今後は著名人の逝去をこの日記で基本取り上げないつもりなのですが、
この人物だけはこの日記で何度か取り上げたので、
今回は取り上げたいと思います。
そう、読売新聞主筆の渡辺恒雄氏(享年98)です。
渡辺氏は一般的には自由主義のイメージが強いのですが、
学生時代は極左共産主義者だったようです。
ただ、私はまだ生まれていなかったので、
極左共産主義時代の渡辺氏は全く知りません。
渡辺氏が一番輝いていたのは、
政界で知り合った故・中曽根康弘氏(享年101)が内閣総理大臣になった時です。
中曽根氏とタッグを組み、開かれた自由主義経済を提唱し、
日本の産業を強化し、
日本国を世界第2位の経済大国にさせるということを、
報道の面から盛り上げてきた功労者です。
同時に読売新聞を日本第1位の発行部数の大新聞社にさせたのは、
渡辺氏無くては説明できません。
その当時の渡辺氏を私は特に批判しないどころか、
日本を豊かにしてくれたと言う面では感謝さえしています。
しかし、バブルが崩壊し、世の中がITに進むにつれ、
渡辺氏は自由主義から功利主義に考えが変わっていきました。
また、中曽根氏との蜜月関係の維持がだんだん世の中の流れから外れるようになり、
次第に老害化していきました。
読売新聞グループもほぼ私物化し、
グループ全体が渡辺氏に配慮するため、世論の風当たりも次第に強くなりました。
特に読売巨人軍の私物化は酷く、
選手を人間とも思っていない言動には多くの批判が出ました。
経済政策の提言も時代遅れの内容になっていき、
財界と癒着した財界有利な政策ばかり打ち出すようになりました。
しかし、世の中はバブル崩壊後で国民が貧しくなって疲弊している中だったので、
そういった財界優遇、
今で言う上級国民優遇の政策は到底受け入れられるものでは無く、
次第に新聞離れの切っ掛けを生むことになりました。
渡辺氏は盟友の中曽根氏が他界する少し前頃から表舞台に出なくなったのですが、
それでも読売新聞の記事は渡辺氏に配慮したような記事になっていました。
私は散々渡辺氏をこの日記で批判してきましたが、
(この日記が休止する前の2012年以前。
現在、この日記はネット界の変化から、
あまり経済関係の記事は書いていないので、渡辺氏も取り上げていません。)
いざ、お亡くなりになるとなんだか寂しさを感じてしまいます。
渡辺氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
それとともに、読売新聞社は渡辺氏に寄らない、
公平公正な記事作りに励んで欲しいと思います。
〜〜〜〜〜
ようやくネットカジノ(オンラインカジノ)が規制強化に動くことになりました。
切っ掛けは最近の闇バイト問題で、
ネットカジノで多額の借金を持った人間が闇バイトに応募し、
強盗などの犯罪に加担することが多くなったからです。
元々カジノは違法で、摘発の対象だったのですが、
ネットカジノは規制が緩く、
海外のネットカジノが参入し放題の状態になっています。
日本は兎角ネットやITの規制が後手後手でネットで悪事のし放題、
金の稼ぎたい放題の状態になっています。
これは、日本がIT後進国で、IT知識が不十分(特に政治家や官僚)なこと、
IR推進法でリアルのカジノの誘致を考えている中、
ネットカジノだけ規制することは矛盾が生じると言うジレンマがあること、
ネットカジノ自体海外の組織が運営していることが多く、
摘発が困難なことが挙げられます。
しかし、2022年5月に起きた、
山口県阿武町の新型コロナウイルス臨時特別給付金誤送金事件では、
誤送金先の人間が4630万円もの大金をネットカジノで使い込んでしまうなど、
常習性があり、しかも、多くのお金を短時間で無くしてしまうと言うことから、
健全な社会を維持する上で、問題があると言えます。
この事件はたまたま摘発を恐れた
ネットカジノを運営する業者が肩代わりして返金したので、
阿武町や町民の被害は避けられたのですが、
逆に言えば、業者側も「やばい」ことは百も承知だったのだと思います。
つまり、この頃からネットカジノは違法性があり、
危険な組織が運営していたのです。
しかし、それでも規制を強化しなかったのは、
日本政府に問題があると言えます。
・・・で、ネットカジノ以上に直ぐに規制すべきは、
オンラインゲームの規制です。
ネットカジノは敷居が高く、あまり親しみ感もないので、
掛け金が莫大になるとは言え、やる人はそこまで多くないのですが、
オンラインゲームはそれよりも敷居が低く、
親しみもあり、大手ゲームメーカーも参入していることから、
被害者が増える一方になっている状態です。
勿論、すべてのオンラインゲームが悪いわけではありません。
オンラインゲームで問題になっているのは、
「課金」の問題です。
最初にゲームをする上でアプリのダウンロードなどで料金を払うのは当然で、
これだけなら何も問題は無いのですが、
その後、プレイする中でゲーム内アイテムを購入したり、
自身が操作するキャラクターをパワーアップさせるのに、
ゲーム内の通貨では無く、
日本円などのリアルの通貨の支払いが必要になることが問題なのです。
更に悪質なのは、これを無作為抽出のルーレット形式で行って、
射幸心を煽ることです。
これは一般的に、「ガチャ」と呼ばれているものです。
この日記をご覧になっている若い方はご存じないと思いますが、
元々「ガチャ」という言葉は、ゲームのそういったものに使う言葉では無く、
今で言うカプセルトイの取り出しボックスのことを言っていました。
私の幼い頃のカプセルトイの取り出しボックスは、
ダイヤルを回すと歯車が噛み合ってガチャガチャ音がしていたので、
「ガチャ」とか「ガチャガチャ」と自然に言うようになりました。
カプセルトイの取り出しボックスは商標権の関係か、
ガチャガチャ音がしなくなった関係か知りませんが、
今は「ガチャ」と言わなくなりました。
一方で、ゲームのそういった無作為抽出のルーレットが、
何が出るか分からないカプセルトイになぞられて、
「ガチャ」という言葉を使うようになりました。
このガチャの悪質性は、自分が欲しいものが出るまで回し続けるといった、
常習性があることです。
例え、「ガチャ○○連続回無料」と謳っていても、
無料範囲で満足できるものを引き当てるのは困難に設定されていて、
大抵は課金領域にいってしまいます。
このオンラインゲームの問題ははっきり言って、
10年以上前から問題になっているのですが、
未だに規制をする気配が無く、野放し状態になっています。
理由としては大手ゲームメーカーも参入していて、
規制をするとそういったメーカーから反発をされる上に、
税収も減ってしまうからです。
通常、射幸心を煽る要素で課金があるオンラインゲームは、
対象年齢が20〜30代に設定されています。
これは、この年齢層なら既に大人なので、
「自己責任がとれるだろう」と言う考えなのだと思います。
しかし、問題なのは、TVのCMもネットのバナー広告も、
未成年者が普通に見る時間帯やSNSに当然のように流していることです。
パチンコのCMのように、
子供が目にする時間帯やSNSの広告には掲載しないよう、
規制をするべきだと思います。
対象年齢が高く設定されていても、
可愛いキャラクターや格好良いキャラクターがCMに出ていたり、
迫力のあるゲーム画面や親しみのあるゲーム画面を公開していたら、
子供なら、「プレイしてみたい」と思ってもおかしくありません。
健全なオンライン社会になることを願うばかりです。
人々の様々な思いが安定しない国家を形成する/「友人」の本当の意味と必要性
(2024年12月12日) |
まさか、シリア・アラブ共和国のアサド政権が崩壊するとは思いませんでした。
まあ、アサド政権が崩壊したからと言って、
シリアの情勢が直ぐに安定するとは思えません。
アラブの春以降、色々なアラブ諸国が革命を起こしましたが、
あまり成功している国はありません。
やはり、色々な人間の色々な思惑が交錯すると、
意見の集約が出来ず、結局情勢が安定しないのです。
それどころか、
かえって独裁国家の時の方がまとまっていた国さえあります。
一番良い国家は独裁者が神のような人格者で、
良好な政治を続けてくれることなのですが、
独裁者も自身の欲があるので、そうはいかないのが現状です。
そして、色々な思惑で混乱しているのが、
お隣の大韓民国です。
この国ってやっていることがあまりに幼稚すぎる気がします。
ユン・ソンニョル(尹錫悦)大統領の「非情戒厳令」もばかばかしいのですが、
それに感情的に対立する反対派勢力もあほくさいです。
なんか、この国は政治をドラマと勘違いしている節があります。
で、今度、ユン大統領の訴追が進んで新しい政権が誕生すると、
またまたまたまたまたまたまたまたまたまた・・・・、
●従軍慰安婦問題
(日本軍による強制連行の事実は無く、朝鮮内の差別的制度の問題)、
●日本による植民地化問題
(当時、日本と朝鮮は同一国なので植民地では無い)、
●徴用工問題、
(徴用工の給与は普通の人より高く、これも強制連行の事実は無い。)
●竹島問題、
(日本の固有の領土で韓国が戦後、勝手に領有権を主張して不法占拠。)
をしつこくしつこくしつこくネチネチネチネチネチネチネチネチ蒸し返して、
日本に謝罪と多額の慰謝料の要求をしてくるのです。
なんで、この国はこんなに粘着質でしつこいのでしょうか?
と言うか、ここまで来ると国を挙げて日本にたかっているとしか思えません。
その一方で、朝鮮民主主義人民共和国の金正恩総書記側には尻尾を振るのです。
※前にも書きましたが、
韓国では現在漢字を全く使っていないので、
この日記では韓国の人名、地名をカタカナ表記としています。
〜〜〜〜〜
次、
「ネットやっている人は友達もいない孤独な人間。」
・・・と、言うことでSNS上で馬鹿にする人間がいますが、
これって、全く意味の無いマウントだったりします。
普通に電車内見ても分かるのですが、
一部、友人同士でオススメSNSを見せ合うことはあっても、
殆どの人は一人でスマホを使い、黙々と一人でネット内のSNSなどを見ています。
つまり、ネットをやること自体、孤独だと言うことです。
なので、上のようなマウントを取っている人自体も孤独なのです。
「友達」と言うと結構誤解されている人が多いのですが、
「友達」が沢山いれば良いと言うものではありません。
これは2022年5月の故・上島竜兵氏の記事で書きましたし、
休止前の日記にも書いた記憶があるのですが、
そもそも友達と言うのは、自身の孤独をはぐらかすために作るものです。
社会人、特に男性は歳を取るにつれて友達が少なくなっていきます。
(私もどんどん友達は少なくなっていて、今は数人しかいません。)
これは否応なしに人と接しなければならず、
孤独になることが少なくなるからです。
仕事に行けば仕事仲間や顧客に接しなければなりませんし、
家庭に帰れば家族と接しなければなりません。
ご近所付き合いもありますし、
趣味仲間とも接しなければなりません。
なので、友達を持つ必要性が無くなるのです。
逆に、人と接しないプライベート時間を確保するため、
友人関係などの交流関係を整理することもあります。
子供は自身から能動的に人間関係を持てないし、
行動範囲も学校など狭い場合が多いので、
先生や親から「友達を沢山作りなさい。」と言われるのです。
なお、仲間と友達の違いは、感情の同調具合の程度差です。
仲間だと同調率が友達ほど無い(特に深層の部分で)ので、
意見の相違により対立が起こることがしばしばあります。
(だから、色々な感情がある大人が友達を作るのは難しいし、
「ママ友」も本当の意味の友達では無い事が多い。)
で、ネット内のオフ会で集まった者同士は「仲間」であり、
「友達」ではありません。
当然、アイドルだろうが趣味だろうがなんだろうが、
支持だろうが不支持だろうが、お互い意見が合えば、
呼びかけに応じて人が集まると思います。
それをもって「自分は友達が沢山いるんだ。」とマウントを取るのは滑稽であり、
逆に「自分の孤独アピール」になってしまいます。
中村幸也氏や小川凌被告のSNSを見ると、
「周りに心から信頼できる人間がいないんだなぁ。」
と思って可哀想になってしまいます。
(二人とも自己愛性パーソナリティ障碍を患っているし・・・。)
(そもそも友人が多い人はしょっちゅうSNS更新などしません。)
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