シークレット更新(2007年12月21日) |
弊サイトの更新は、大体の方がトップページか、
更新履歴をご覧になっていると思います。
しかし、実はトップページのスペース上の都合や、更新履歴ページのスペース上の問題で、
載せていないシークレット更新があります。
シークレットと言うと「秘密なのか?」とかお思いになりますが、「本当に秘密更新」と、
「単にスペースがないため」の2種類があります。
シークレット更新は、以下のものが該当します。
1、この日記の更新
(当たり前ですが・・・。これを更新にしたらスペースが足りない・・・。)
2、ページの削除
(「このサイトは追加ばかりしている」とお思いになっている方もいらっしゃると思いますが、
実はページの削除も結構やっていて、これは「無」になるため、更新に載せていません。)
3、ページの移動、写真や文章の移動
(内容的に変わる更新でないので、載せていません。)
4、相互リンクの解除
(いかなる理由でも「○○の相互リンクを解除しました。」と言う表現は心証を悪くするので、
「○○の相互リンクを追加しました。」を消して相殺しています。
ただ、これではそのサイト自体の存在を抹殺することになるので、
何か形に出来ないか考え中です。)
5、キリ番、記念日以外の2日以内の更新
(これ、結構あります。ただし、大きな更新はちゃんと載せます。)
6、電車のページ(新電車のページ)で1ページ程度の追加更新
(これが「シークレット」の様になっています。
でも、毎日弊サイトをご覧になっていると言う神様のようなサポーターさまは、
結構見つけてしまうようです。生ログを見ると大体初日で5人前後の方は見つけるようです。)
7、追加したけどミスに気付いて短期間で修正して再更新した場合
8、数枚の写真の交換、削除、追加。数行程度の文章の修正、削除、追加
(これはちょくちょくやっていますが、更新にわざわざ載せていません。)
9、その他特に更新に載せるほどでない更新 |
更新日先日付(2007年12月17日) |
弊サイトをご覧になっているサポーターさまの一部の方は、
「何で更新日が未来の日付になっているんだ?」とお思いになっていると思います。
大体更新日は+1日、0時寸前に更新すると+2日になることもあります。
なぜ、このようなことになるのかと言うと、
弊サイトの更新日は「アップロードの日」でなく、「ページ完成予定日」にしているからです。
ページ完成予定日は、そのページが出来上がる予定日で、大体多めに見ています。
ですので、更新日が+1日とか先日付になってしまうのです。
ただ、2例ほど例外があります。一つは「キリ番」や「○○周年」などの記念日です。
これは先日付でなく、実際の日付にしています。(当たり前ですが・・・。)
もう一つは今回の「山万」など予定でない日に突発的に更新したときです。
今回の「山万」のページはもっと先に更新する予定だったのですが、
現行のページのミスに気付き、
仕方なく修正のため更新に踏み切りました(現行のページの元ファイルはもうないので。)。
と、言う事ですので、「更新日が間違っている」とか言う突っ込みはなしと言うことで、
ご了解願います。 |
川柳五七の電車のページ<新電車のページ>(2007年12月9日) |
このサイトが出来て5年と4ヶ月が経過しました。
もう、初期の頃のたわたわのぺーじを知る方も少なくなってきました。
年末だし、そろそろ電車のページの話題にしようと思います。
おそらく、サポーターさまや、
鉄道サイトを運営されている管理人様もご興味があると存じますし・・・。
(今回はちょっと長文になりますので、ご了解願います。)
今、TVではゴールデンでやる番組の番組宣伝のために、
朝から夕までの番組に出演者がゲストで出て番組の宣伝しています。
そうしないと視聴率が稼げない時代になってしまったのです。
弊サイトの電車のページ、新電車のページは現在、宣伝を一切行っておりません。
更新したから、色々な人のサイトの掲示板で宣伝したり、メールマガジンを出したり、
鉄道コミュニティーサイトで宣伝したり、2ちゃんねるで宣伝したりしていないのです。
今は宣伝しなくても更新日の週末は高アクセスと高転送量をマークしています。
全く営業しなくてもアクセスが稼げるコンテンツは管理人にとってはありがたいです。
営業に使う時間をサイトの更新やこの日記の更新に使えるからです。
人生かくにこうありたいものです。
でも、開設時は全然違いました。もう宣伝しまくり営業しまくり、
それでもアクセスがあがらないと言う悲惨な状況でした。
そんな「川柳五七の電車のページ」が出来たのはたわたわのぺーじと同じ日の、
2002年8月4日です。開設当初は十数ページの小さなコンテンツでした。
(開設から半年間は「たわたわのぺーじ電車と電線編」の中のコーナー扱いでした。)
前から何回も言っていますが、たわたわのぺーじは当初はアキバ系サイトにする予定で、
鉄道コンテンツはアキバ系コンテンツが出来るまでのつなぎコンテンツで、
電線のページともどもおまけ扱いでした。
(「電車のページ」はなぜ「鉄道のページ」にしなかったのかと言うと、
アキバ系コンテンツが完成したら、廃止にする予定だったので、
電化路線しか扱わないだろうと言う判断からです。)
しかし、当初の目論みはすぐに挫折になりました。アキバ系サイトの構築にやる気をなくし、
メインをはっていた「川柳五七の音楽のページ(現・月鏡音音草子)」の失速、
newton様の「電柱station(現・電柱装柱資料館)」の統合で、
予期せぬ付帯コンテンツ、電線のページの肥大化で、
電車のページを当面維持しなくてはいけなくなりました。
一方、開設して時期に半ミラーサイト、
「新・たわたわのぺーじ(現・新電車のページ)」を作りました。
これは当時、「たわたわのぺーじ」は無料サーバーだったので、ダウンが頻発し、
まともに見られる日が少ない状態が続いたので、
万が一の場合にミラーサイトが必要だったからです。
そこでもよせば良いのに、電車のページと電線のページをおまけとして作りました。
と言うか、半分倉庫利用な感じでした。
「新・たわたわのぺーじ」はメインサイトよりもっと殺伐としていました。
「たわたわのぺーじ」が1日に30HITしているのに対し、
「新・たわたわのぺーじ」は10HIT程度と言う、サイトとして成り立っていない状態でした。
そこで、初めて「新・たわたわのぺーじ」で勝負に出たのです。
「完全特集!西武安比奈線」のコーナーです。
今、ネット上で安比奈線を扱ったものとしては、日本で最も有名なコーナーになりましたが、
当時はそこまでは考えていませんでした。とにかくアクセスが取れる魅力のあるものとして、
近くにある西武安比奈線にターゲットを向けたのです。
西武安比奈線の廃線のようで廃線でない休止線は魅力的で、
きっと特集を組めばアクセスが得られると言う確信があったのです。
フットワークを駆使し、
当時としては他のサイトでは出来ないほどの膨大な写真量・情報量のコーナーとして、
このコーナーを完成させました。
これは、私の「好きなことは完璧にやらないと気がすまない」と言う性格から来るものでした。
この頃にはサーチエンジンの登録も順調に進み、相互リンクも増えたので、
徐々にアクセスが増えてきました。でも、爆発的と言うほどではありませんでした。
しかし、幸運も長くは続きませんでした。
新・たわたわのぺーじはサーバー側の一方的規約変更で、
継続が不可能になったのです。
(その後、継続できることが判明し、音楽コーナーとして使いました。)
折角アクセスが増えた新・たわたわのぺーじは、閉鎖と言うことになり、
鉄道コンテンツは、メインの電車のページに統合しました。
もちろん、サーチエンジンの登録しなおしになるので、アクセスは減りました。
(そこで、テコ入れで作ったコンテンツが「地図のページ」です。)
ここで、氷河期に入ってしまうのですが、相互リンク先管理人様の掲示板書き込みが、
第一の分岐点になりました。
相互リンク管理人様が「ケーブルカーの会社に入社した。」と言う書き込みです。
私は、「他の鉄道サイトに普通の鉄道コンテンツでは真っ向勝負が出来ない。
”何か変わったもの”」と考えていました。私はこの書き込みを見て、「これだ!!」と、
思いました。そう、「ケーブルカー・ロープウェイの特集」です。
ケーブルカー・ロープウェイを扱ったサイトは前例があったのですが、
鉄道趣味とは結びつかない独立したものでした。
鉄道趣味のコンテンツを維持しながら新境地に「ケーブルカー・ロープウェイ」を組み込めば、
鉄道ファンの趣味の領域が広がると考えたのです。
そこで、2003年後半から2004年にかけて、
ケーブルカー・ロープウェイの特集を組みました。
しかし、当初は思惑通りに行きませんでした。
底辺になる普通の鉄道部分のアクセスが少なかったからです。
(これが、当初の目的どおり、鉄道趣味と融合するのは2005年以降です。)
でも、いつかは鉄道ファンの皆さんに評価されると思い、コツコツと更新を続けました。
第二の分岐点になったのが、
この日記をご覧の方はご存知の2005年初頭の秩父鉄道の展望撮影特集です。
私は鉄道に乗ると、大抵かぶりつきをするのですが、物忘れが激しく、
かぶりつきで見た景色が時の経過とともに忘れてしまうと言う悩みを持っていました。
そこで、展望撮影を行って、写真として景色を残そうと思ったのです。
この手法は1990年から行っていたのですが、当時はアナログカメラだったので、
連続撮影は出来ませんでした。デジタルカメラなら枚数を気にせず撮影できるので、
本格的に始めることが出来ました。最初のサイトの公開は京急の特集ですが、
まだ、その当時は元のアクセスが多くなく不発でした。
続いて大井川鉄道で行って、相互リンク先管理人様からお褒めの言葉をいただきましたが、
やはりアクセス増には結びつきませんでした。特集が中途半端だからです。
結局、この方法は完全に起点から終点まで行わないとダメだと確信しました。
そして、公開されたのが秩父鉄道の特集です。
アクセスが思った以上に好調だったので、「これならいける」と確信しました。
私はこの時点で、「車両鉄」から新分野の「路線研究」と言う分野に乗り換え、
従来の車両ページはことごとく廃止して、
展望撮影(かぶりつき撮影)を中心に追加更新を行いました。
ページを増やせば増やすほどアクセスが増え、電車のページの代名詞となりました。
しかし、今度は別の問題が起きてしまいました。
アクセスの増えすぎで、
サーバー規定の転送量を超えてしまうことが度々起きるようになったのです。
アクセスの時間差を呼びかけたり、多ページ閲覧は控えるようにと、
サポーターさまに呼びかけて対処しようとしましたが、
恐ろしい勢いで増えていくアクセスに耐え切れませんでした。
そこで、電車のページを2分割することにしました。分割化は2回に渡って行い、
1回目は新・たわたわのぺーじ閉鎖後から続いている音楽サイト、
たわたわのぺーじmuに一部コンテンツを移動させました。
(ただし、「完全特集!西武安比奈線」は電車のページに残しました。)
2回目は2006年の正月に行い、たわたわのぺーじmuを一旦廃止して、
「川柳五七の新電車のページ月鏡音音草子」としてスタートしたのです。
これで、ほぼ今の形になりました。
(2007年の8月に月鏡音音草子は独立)
なお、電車のページのある「たわたわのぺーじ」はSNC事件でサーバーを乗り換え、
1日転送量上限が6GBと言う安全圏のサーバーに移動させました。
(それでもアクセスの多い日は3GB超えるのですが・・・。)
今は2006年ほどの上昇率はありませんがアクセスが少しづつ増えています。
ただ、展望撮影だけでは面白みが欠けるので、2006年後半から新境地を開きました。
そう、「鉄道・不思議発見!!」です。そこそこ好評なので、
これからも展望撮影と平行して更新して行きたいと思います。
長文になりましたが、結局、アクセスが増えたのは2005年からで、
まだ中堅鉄道サイトになってから2年も経っていないのです。
しかし、電車のページは色々なサイト運営の歴史が奇跡的に融合して、
ここまで成長できたのです。
もちろん、それは普段このサイトをご覧になっているサポーターさまのおかげです。
これからも電車のページ、新電車のページをよろしくお願い申し上げます。 |
2万人(2007年12月7日) |
いきなりクイズですが、鉄道ファンの人って何人いると思いますか?
下の4択から選んでください。
1、2万人
2、20万人
3、200万人
4、2000万人
何かクイズ・ミリオネアみたいですが、
多分ノーヒントでやると誤答率が高い問題だと思います。
私は3の200万人と仮定して、このサイトを運営してきました。
だから私は「あんまりアクセスは多くないなあ。」とか思っていました。
鉄道ファンの皆さんはどうでしょうか?
さすがに4の2000万人は無いでしょうね。
日本人の6人に1人は鉄道ファンになってしまいます。
で、答えなのですが、ぢつは1番の「2万人」なのです。
私、最初この統計を知った時「嘘だ!!」と思いました。でも、本当に2万人らしいのです。
日本の人口は1億2000万人と仮定すると、たった0.017%しかいないのです。
それを実感できたのは「鉄道博物館」です。
鉄道博物館は1ヶ月で24万人の来場があったのですが、
私が鉄道博物館に行った時、殆どが家族連れで、
鉄道ファンらしき人は殆どいませんでした。
つまり、24万人の来場者は殆ど鉄道ファンでなく、単なる観光客なのです。
銚子電鉄が生き残ったのも、2ちゃんねるのタカ派鉄道ファンはきっかけだけで、
さほど貢献はしていません。
実際、ぬれ煎餅を購入した人の殆どは、TVを見た一般視聴者なのです。
しかし、鉄道ファンの人口が2万人と知った時、私は恐くなりました。
たわたわのぺーじの鉄道コンテンツのリピーターさまはほぼ1000人います。
つまり、鉄道ファンの20人に1人はたわたわのぺーじを固定客で見ていることになります。
と、言うことは私がサイトで書いたことが、
鉄道ファンにかなり影響を与えてしまうことになるのです。
ファン全体のパーセンテージで5%の影響力とすると、
アイドルファン分野のしょこたんブログなんか問題にならない程の影響力なのです。
さすがに最近は新規ページを作るとき、かなり慎重になりました。
影響力を考えると「自論とか自己流」なんてしてしまうと、
鉄道ファンに多大な影響を与えてしまうのです。
ですので、最近は多数の鉄道本を購入して記述間違いをしないよう気を配っています。
ミスを発見した場合はすぐに修正するようにしています。もう、ピリピリ状態です。
鉄道サイトを運営されている方、「アクセス上がらない。」と感じている方が多いと思います。
それは仕方がないことなのです。鉄道ファンはたった2万人しかいないのだから・・・。 |
ウェブサイトの成熟度(2007年11月17日) |
弊サイトのアクセスアナライザー(アクセス解析)は、
先月からサーバーオリジナルの「エックス・アナライザー」になっているのですが、
ここでは、面白い円グラフを見ることが出来ます。

表の円グラフは弊サイト11月のアクセス元統計です。
〜(1)は検索エンジン以外からのリンク〜
つまり、サーチエンジン以外からの弊サイトへ貼られているリンク(相互リンク先など)
からの流れ込みです。
弊サイトは全体のアクセスに占める割合が3.55%と言うことになります。
〜(2)は検索エンジン〜
ヤフーやグーグル、MSNなどのサーチエンジンで検索ワードを入力し、
弊サイトに移動したサポーターさまの割合です。弊サイトは43.87%と言うことになります。
〜(3)お気に入りからやURLでのアクセス〜
お気に入り(ブックマーク)やブラウザのアドレス入力欄にURLを直接入れて、
訪問されたサポーターさまの割合です。弊サイトは52.58%と半分以上を占めています。
以下から、弊サイトは(3)の「お気に入りやURL入力」の来場が、
一番多いと言うことになります。
これを見てウェブサイトをお持ちの方は、「うちのサイトは(1)が多いぞ。」とか、
「うちは(2)が多いぞ」と言う方もいらっしゃると思います。
この(1)〜(3)のどの比率が多いかで、「サイトの成熟度」が分かるのです。
(1)が多い方は、サイト成熟度が低いサイトになります。
サーチエンジンにまだ登録されておらず、
相互リンクの流れ込みが殆どを占めるからです。
この時期はひたすらサーチエンジン登録作業と、
相互リンクを増やすしか手立てがありません。
しかし、サーチエンジンロボットをクロールさせないように設定しない限り、
時期に比率は(2)の方が多くなります。
ですので、気をつけたいのは、ここで「相互リンクを増やしすぎない」ことです。
(2)の比率が高くなっても(3)の比率が上がらないため、
未だに(1)の比率を上げようとしている管理人様もいるのですが、
(BBSやメール、ブログを盛り上がらせるために)
そういう管理人様は自身のサイトのコンテンツ内容を見直した方が良いです。
相互リンクを増やして固定客を増やすと言う手法は最初だけで、必要以上にやってしまうと、
逆にサイトから出て行ってしまうサポーターさまが増えてしまうからです。(手間もかかる)
相互リンクは今ある相互リンク先の運営状況を定期的に把握して、
それに見合った数の範囲内で増やすべきです。
(2)が多い方はやっとサイトが軌道に乗った方です。
しかし、この時期が一番運営が難しいです。
この時期はサーチエンジン様様で、サーチエンジンの検索順位向上化、ページランク向上化、
SEOなどの技術を要するからです。
また、サーチエンジンが更新するごとにアクセスが増減し、
一喜一憂してノイローゼ状態になるのもこの時期です。
サイト運営を挫折する方もこの時期に集中しています。
私もこの時期は気が狂いそうになりました。
この時期はコツコツと更新してチビチビと固定客を増やすしかないのです。
(3)が多い方はサイトの成熟度が高いサイトとなります。(3)のサポーターさまは、
サイトのサポーターさまの中で一番ありがたい方たちで、毎日とは行きませんが、
定期的に私達のサイトを見ていただいている方たちなのです。
しかし、(3)を増やすには、魅力的コンテンツを構築しなければなりません。
ですので、この比率がサイトの真の評価基準と言えるのです。
で、弊サイトは3ヶ月くらい前に(3)が(2)を上回り、
やっと安定して自分の思ったとおりのサイト運営が出来るようになりました。
しかし、そこまで行くのに要した時間は「5年」です。
サイトが成熟するには長い時間がかかると言うことをしみじみと感じます。 |
ネットにおけるイジメ問題をどうするか?(2007年11月16日) |
文部科学省発表の2006年度全国小中高校のイジメ件数が、
6倍に跳ね上がっていると本日、各新聞で報じられました。
特に、ネット掲示板での誹謗中傷や、メールでの誹謗中傷などが増加していて、
深刻さを増しているそうです。
イジメは別に子供でなくても大人社会でも起こることですが、
インターネットに関しては、子供の方が卑劣になる傾向があるようです。
これはITにおける社会教育が日本は大幅に遅れているのが原因だと思います。
日本におけるIT教育の基本は何なのか文部科学省も真剣に考えなければなりません。
IT教育は、英語や数学と違って、ただ単にIT機器を使いこなすことだけが教育ではありません。
IT社会の道徳的観点から先ず教育しなければならないと思います。
今、IT技術の最先端をいっている大人たちはそういう教育を十分に受けていません。
ですので、そういう大人社会を見ている子供たちは、
IT社会なら何でも良いんだ(治外法権だ)と言う 考えが生まれてしまうのです。
インターネットにおけるイジメ問題は今の大人のIT社会を投影しているのです。
IT教育を始める前にIT社会でやってはいけないこと、
ITにおけるルールを定めた指針を子供たちに先ず示さなければならないと思います。
そのためには、我々大人たちもIT社会を見直す場面に来ているのだと思います。
確かにITは便利です。しかし、便利な反面不幸も呼んでしまうのです。
ITを有効にかつ皆が便利で楽しく使えるよう、ここでちゃんとしたルール作りと教育、
法律の整備が必要だと思います。 |
サイト運営の体内時計(2007年11月13日) |
昔からの弊サイトのサポーターさまは、
「最近、たわたわのぺーじの更新速度が落ちたのではないか」と、
感じていらっしゃるかと思います。
サイト運営開始から数年間は1ヶ月に2〜3回位電車のページの更新をやっていて、
なおかつ、電線のページや、地図のページ、音楽のページの更新も月1回やっていました。
それが今は電車のページの更新は新電車のページを含めても月1〜2回くらい、
電線のページと地図のページは隔月更新、
音楽のページ月鏡音音草子は休止状態になっています。
これは、サイト運営の時間感覚が遅くなってしまったのが原因です。
しかし、実際の時間の進み具合は遅くなった訳ではないので、
結局更新間隔が開くことになるのです。
実際サイトやブログを運営してみると実感できると思います。
サイト運営開始直後は、
「早く更新しなきゃ、遅れてしまうし、アクセスも減っていく。」と言う観念があるため、
ついつい毎日のように更新してしまいます。
こんなあくせく更新している状態なので、当然更新間隔は短くなります。
更新間隔が短いと、サイト運営の時間感覚は早くなります。
しかし、更新回数を多くして一生懸命やっても本来の時間の流れは一定なので、
サイト1周年記念まではやたらに時間が長く感じるのです。
(それでサイト運営を挫折する方もいる)
それが、サイト運営が軌道に乗り、一定のアクセスが得られるようになると安心感が生まれ、
更新間隔が少しずつ開いていきます。
更新間隔が開けば開くほど、サイト運営の時間感覚は遅くなります。
それでも本来の時間の流れは一定なので、
「あれ?もう2週間も全く更新していない!?」とか、
「あれ?もう1年経ったの??」とかなってしまうのです。
最初の1周年はやたらに長く感じても、
2周年、3周年・・・といくうちに1年が短く感じて行きます。
これは、サイト運営の時間感覚が遅くなったのに対し、
実際の時間の流れは同じだから起きる現象なのです。
大体のサイト・ブログ管理人は同じような体験をすると思います。
逆にサイト運営年数が多くなればなるほど1周年が長く感じると言う方は少ないと思います。
サイト運営が長くなると、色んなサイト運営の傾向が分かってくるので、
それを発見するのは楽しいと言えば楽しいと思います。 |
川柳五七の地図のページ(2007年11月6日) |
たわたわのぺーじのコンテンツは「鉄道、送電、地図、DTM音楽」の4つだと言うことは、
ご承知だと思います。(まあ、DTM音楽は死に体状態ですが)
その中で、開設時からあったコンテンツは「鉄道、送電、DTM音楽」です。
・・・と、言うことは、後から新設したコンテンツは「地図」だけになります。
そういう風に書くと、「たわたわのぺーじは開設時から追加したコンテンツは地図だけか。」と、
誤解されてしまうかもしれませんが、実は地図以外にも追加したコンテンツはいくつかあります。
しかし、何れも長続きせず、閉鎖してしまいました。
開設後、新設したコンテンツで唯一成功したのが「地図だけ」なのです。
「川柳五七の地図のページ」は、
たわたわのぺーじ開設から遅れること1年2ヶ月の2003年10月26日に開設しました。
今では信じられませんが、当時はアクセスが伸び悩んでいてサイト運営に苦戦していました。
「ファンの数が多く、競合サイトの数も無数にある鉄道」や、「逆にファンの数が少ない送電」、
「視覚的に訴えるコンテンツではない音楽」では、
アクセスの伸びは到底期待できないと思い始めました。
「何かオリジナリティーがあり、それでいてある程度のアクセスが期待できるコンテンツ。」
が必要だと言うことを私は感じ始めました。
色々試行錯誤した結果、「川柳五七の地図のページ」を開設することに決めました。
これは、弊サイト作者が折角測量士補の資格を持ちながら、
全然普段の生活に役立ててないこと、地図は結構奥深く難しいのに、
それを簡潔に説明したサイトがないことが地図コンテンツを作る切っ掛けとなりました。
とは言え、最初はこのコンテンツを追加することに躊躇(ちゅうちょ)しました。
鉄道・送電・DTM音楽は前例になる参考サイトがあったのに対し、
地図は前例サイトがなかったからです。
(鉄道は参考になるサイトは無数にありましたし、
送電もファンの数が少ないとは言え、JAMMIT様、荒畑様、
今は弊サイトと統合してしまいましたが、newton様などの前例サイトがありました。
DTM音楽に関しても前例サイトは沢山ありました。)
地図のページの構築は全く持って未知なる物でした。
参考になるサイトがないものですから・・・。
そして、不安だらけの中、おそるおそる「川柳五七の地図のページ」がスタートしました。
最初は「ダメかなー!?」と思っていたのですが、なんとこのコンテンツを作ったことが、
地図のページだけでなくたわたわのぺーじ全体を大きく飛躍させることになりました。
結局、新しく出来た地図のページは、サイト全体を変えるということになったのです。 |