美濃町・揖斐線の特集の前に

美濃町(みのまち)線・揖斐(いび)線・田神線・岐阜市内線は、元名古屋鉄道の路面電車で、
美濃町線は徹明町〜関間、揖斐線は忠節〜黒野間、
田神線は田神(新岐阜<現・名鉄岐阜>)〜競輪場前間、
岐阜市内線は、新岐阜駅前〜忠節間を結んでいました。
かつては岐阜の路面電車として賑わいがあったのですが、
自動車社会が普及していく中、年々利用客が減り、とうとう全線廃止となってしまいました。



1、2005年3月末前に廃止された区間

今回の特集では取り上げていない、2005年3月末前に廃止した区間を、
簡潔に紹介します。

A,美濃町線(新関〜美濃間)

もともと利用客が少なく、全線にわたり長良川鉄道と併走しているので、
二つも路線が要らないということで廃止になりました。
逆に国鉄越美南線が、長良川鉄道にならずに廃止されていた場合は、
この区間は残っていたかもしれません。
なお、ただ単にこの区間を廃止しただけでは美濃方面から岐阜方面へ行くのに不便になるため、
新関〜美濃間廃止と同時に新関〜関間を新設しています。

B,岐阜市内線(岐阜駅前〜新岐阜駅前間)

この区間は最近休止された区間で、
道路事情の関係でダイヤどおりに運転できなくなったのと、
駅前の整備のため、休止になりました。
晩年は「歩いた方が早い」という状態だったそうです。
また、全電車岐阜駅前電停まで走っていたのではなく、
半数は新岐阜駅前電停で折り返していたので、
現役時代から使いにくかったのも事実です。
新岐阜駅前電停から岐阜駅までは大して距離もないので、
特に不便になったと言うことはありません。

C,揖斐線(黒野〜本揖斐間)

この区間を廃止したため、非常に本揖斐地区からの便が悪くなりました。
本揖斐地区には近鉄養老線(現・養老鉄道)があると言うことで廃止したのだと思うのですが、
本揖斐から近鉄揖斐駅(現・養老鉄道揖斐駅)まで距離があり、使いにくいです。

D,谷汲線(黒野〜谷汲間)

現役時代から超過疎路線で、終点谷汲以外は殆ど乗降がなかったようです。
全線にわたり樽見鉄道が併走しているので、
そちらに輸送を任せた感じで廃止になっています。
ただ、樽見鉄道谷汲口駅から谷汲地区までは若干距離があり、不便になりました。
沿線風景はすばらしくローカルな感じで、素敵だったようです。
谷汲線と揖斐線の一部区間廃止で、高床電車は一部を除いて全廃になり、
以降は、岐阜市内線直通用の低床電車のみになりました。

2、全線廃止(名鉄撤退)となった原因

A,路面区間の所要時間がかかりすぎた

岐阜の路面電車は、道路信号が路面電車優位にしていなかったため、
田神・美濃町線の新岐阜(現・名鉄岐阜)〜日野橋間と、
岐阜市内線を走るのにかなり時間がかかっていました。
路面電車優位の信号にして、軌道敷に自動車乗り入れ禁止にすれば、
田神・美濃町線で1〜3分、岐阜市内線で3〜5分程度短縮が可能でした。
また、岐阜市内線の上り方向は、新岐阜駅前の交差点を渡るのに時間がかかり、
新岐阜駅前電停に到着するのに時間がかかっていました。
乗りなれた乗客は、
手前の金宝町電停で降りて新岐阜駅(現・名鉄岐阜駅)まで歩いていました。

B,電車の床が高かった

路面区間の電停は、
道路に緑のラインを引いた乗降箇所表示しかありませんでした。
そのため、道路面からの高さから乗ることになり大変でした。
低床式電車の導入と安全地帯の設置が出来なかったのが悔やまれます。

C,電車自体が遅かった

路面電車区間は道路の制限速度どおり(最高時速40q)に走らなければならず、
スピードアップはできませんでした。
ただ、郊外電車区間はスピードアップが可能だったはずです。
揖斐線全車新型だったので、最高速度時速70qで走っていましたが、
全区間ではなく、かなりの区間時速40〜50qくらいで惰性走行させていました。
これは交換駅でうまく交換できるよう所要時間を調整していたのだと思われます。
美濃町線系統は旧型車が残っていたため、
時速50q程度でしか走っていませんでした。
しかもレール状態が良くないため、
時速50q出すとかなり車体がゆれ、乗り心地が悪かったです。

D,急行運転で利用客を減らしていた

揖斐線には近ノ島・旦ノ島駅を通過する急行が走っていました。
この近ノ島・旦ノ島駅周辺は結構住宅が建っていて、沿線人口が多いです。
急行運転していることで、停車電車の本数が少なくなって不便になり、
ミスミスこの2駅の乗客を逃していました。
急行運転は、新岐阜駅前電停折り返しと、
岐阜駅前電停折り返しの時間の調整のためだったのですが、
晩年は全車新岐阜駅前折り返しだったので、
この2駅を通過させる意味合いはありませんでした。

E,本数が少なかった

揖斐線は15分毎でまあまあだったのですが、
美濃町線の本数は少なすぎて利用しにくかったです。

晩年の運転本数

揖斐線は15分毎で良かったのですが、美濃町線が30分毎で、
しかも、関行きと新関行きが60分サイクルで交互に来るのは不便この上なかったです。
長良川鉄道が60分毎なので本数を増やしても仕方がないのかもしれませんが、
新関〜関間は殆ど距離がないので、全車関駅行きにするべきでした。
徹明町〜野一色間は60分毎になる時間帯があって、
市内電車としては信じられない本数の少なさでした。

F,車や自転車の連携ができていなかった

沿線の駅は自転車置き場や駐車場が少なく、パーク&ライド化していませんでした。
パーク&ライドを強化すれば、岐阜市内の道路の混雑も緩和されたはずです。

G,名古屋鉄道自体の経営状態が悪化していた

名古屋鉄道の経営状態悪化のしわ寄せが、
この路線たちの廃線に結びつきました。
名鉄は幹線路線の本数が過剰気味なところがあり、
こういった末端路線を廃止するより、
幹線路線の余計な運転コストを減らす努力をして欲しかったです。

H,岐阜市民の環境問題、公共交通機関に対する意識やモラルが低かった

全国的に見て岐阜市民(岐阜県民)は鉄道交通に関しての感心が低すぎます。
岐阜市民の社会的考えは15年程遅れていて、
今の社会情勢が分かっていないような気がします。
排気ガスを撒き散らす自動車を優遇し、
少ないエネルギーで多くの人を運べる鉄道の利点を知ろうとしない人間の多い町は、
何れ廃れるでしょう。
環境問題だけでなく、
高齢化による自動車運転人口減少時に鉄道がないのでは住みにくい町になってしまいます。
無駄な道路建設にかけるお金があったら、
鉄道維持にお金をかけたほうが余程将来のためになります。

廃止後、岐阜市民は「路面電車がなくなって自動車交通がスムーズになって良かった。」
と言っていますが、
本当にそれで良かったのでしょうか?
物事はミクロ単位でなくマクロ単位で考えないと、
(現在だけ見るのではなく、将来も見据えて見る。)
いつかは自分達にしわ寄せが来ます。
後で、「路面電車が残っていれば良かった。」と後悔しても遅いのです。

I,運賃が高かった

都市の交通機関であるならば、もっと運賃を安くするべきでした。
路面区間の運賃はワンコインを導入しても良かったのではないかと思われます。
運賃は大手民鉄では高い方の名鉄ベースだったので、
名鉄を切り離して第3セクターにすればまた違った運賃設定が出来たはずです。

3、果たして、議論はされつくしていたのか?

2004年7月末に岐阜市が存続断念をしたのですが、
実際それに至るまでしっかり議論されていたのか問題です。
路面電車は危険 自動車は安全?交通事故は?
バスなら採算とれる 本当にバスは採算とれるのか?定時運行できるのか?
車両費は?環境問題は?
鉄道は赤字が続く 名鉄のデータベースで考えていないか?
経営努力で改善しえるか考えたのか?
高額な譲渡費用がかかる 名鉄に対して強行的無償譲渡要求をしたのか?
最初から存続断念が頭にあったのではないのか?
言い訳にしているのではないのか?
施設改良費がかさむ 岐阜市の予算の中の無駄な費用本当に削減しているのか?
無駄な費用を施設改良費に当てようと考えなかったのか?
最小限の施設改良で済む知恵を出したのか?
市民が特に存続に意欲がない 市民に対して具体的路面電車優位性を示したか?
将来の交通ビジョンをしっかり示してきたか?
道路交通法などが絡んで難航する 国土交通省などに協力要請をしたか?
本当に道交法に絡むのか専門家交えて考察したか?
電車が遅い 高速化などを考えたか?
路面電車廃止による道路渋滞で、
自動車の移動時間がかえって伸びると考えなかったのか?
自動車が交通の主役だ 今の環境問題を考えているのか?

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