活性化を図って・神鉄粟生線9

15(KB52)、三木上の丸(みきうえのまる)Miki-Uenomaru


片面1線の駅です。
駅は三木城址の中腹にあります。
三木城址は駅北側のナメラ商店街と言う、
寂れまくったアーケード街を経由して行けます。
三木城は戦国時代に当主の別所長治と羽柴秀吉の合戦が行われ、
兵糧攻めが行われた場所です。
結果は兵糧攻めに耐えかねた別所長治が自決して終わります。


三木上の丸駅の駅舎は木造の古い物になっています。


左手の丘陵が切れた部分の下で、
ナメラ商店街の道と交差します。
「ナメラ」はここら辺の本町滑原遺跡から来ています。
同遺跡は三木城下町の遺跡で、家臣の屋敷群があったとされます。


美嚢(みのう/みの)川を渡ります。
この橋梁は途中で左カーブになります。


美嚢川の対岸に渡ります。


住宅の合間を縫っていきます。


やや線路敷地が広がります。


カーブのまま三木駅です。
なお、右手に引き上げ線があります。

16(KB53)、三木(みき)Miki


カーブ上にある、相対式2線の駅です。
粟生駅方面ホームの三木上の丸駅寄りに
神戸電鉄福有橋変電所があります。
駅舎は北側南側両方にありますが、
上下線ホームを結ぶ跨線橋や地下道、構内踏切は一切無いので、
間違って改札を入ってしまうと大変なことになります。
北側の駅舎が新開地駅方面のりば、
南側の観光案内所併設の新しい駅舎が粟生駅方面のりばに直結しています。
日中に三木駅発着の列車が設定されていますが、
この駅の上下線別の駅舎構造のため、
この駅でそのまま折り返すことが出来ません。
(引き上げ線は新開地駅方面の線しか出入できません。)
そのため、三木駅止まりが1番線で乗客を降ろした後、
一旦三木上の丸駅方向に回送させて改めて新開地駅方面の2番線に入るという、
面倒なことを行っています。
駅前広場は南側の駅舎側にあります。
南側の駅舎は新しいのですが、
駅前広場整備に合わせて建て替えたと言うより、
近くの家が火事になって旧駅舎が全焼してしまったため、
建て替えたようです。
三木の中心駅ですが、位置は美嚢川ほとりの新市街地端にあります。
元からの市街地は美嚢川対岸の南側で、
その旧市街地の西端に国鉄三木線→三木鉄道の三木駅がありました。
こちらの方が歴史が古い駅で、
大正6年に播州鉄道が開業させました。
なお、播州鉄道の本線は今のJR加古川線、
北条町に行く支線は北条鉄道になっています。
昭和13年に三木電気鉄道(現・神戸電鉄)が
三木福有橋駅(→電鉄三木駅→現・三木駅)まで開業させると、
昭和18年播州鉄道は国有化され、国鉄三木線になりました。
国鉄時代はまだ加古川に行って神戸の方に行く流れもあったのですが、
神戸電鉄が便利になっていくと、
利用客が減って赤字ローカル線になりました。
そのため、国鉄三木線は第三セクターの三木鉄道に転換されました。
三木鉄道転換後は駅をこまめに設置して増発し、
利便性を向上させたのですが、
神戸電鉄も含め神姫バスに利用客が流れ出すと負債が膨らんでしまい、
結局、廃止されてしまいました。
三木鉄道の三木駅は現在、三木鉄道鉄道公園になっています。


三木駅を出ます。


三木中学校の横を走ります。


ビルの裏手を走ります。


県道が近付く関係で、
ドラッグストアやコンビニエンスストアなどが見られます。


右カーブが終わるとすぐに左カーブに変わります。
そして、金剛寺谷川を渡ります。


前方の山が迫ります。


ちょっとした水田地帯になり、
線路は盛土になります。


道路と交差すると大村駅です。

活性化を図って・神鉄粟生線10

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