武蔵野快走・西武池袋線21


横瀬駅を出発します。しばらくは引き上げ線が併走するので、
複線のようになります。
現在の横瀬車両基地の西側の部分は、
この引き上げ線に一旦入って折り返すようにしないと入れない配線になっています。


引き上げ線が終わります。


連続左カーブになります。途中で姿の池がちらっと見えます。
横瀬駅〜西武秩父駅間はS字の線形になっています。
真っ直ぐ行けば半分の距離程度で済むのですが、
西武秩父駅の用地の関係と地形的に厳しい関係で、
このような線形になりました。


右手は羊山公園です。


やがて羊山トンネルになり、羊山公園のある丘の下を走ります。


羊山トンネルを出ると視界が広がり、
秩父の市街地になります。


連続右カーブで市街地の中を高架で行きます。


左手から秩父鉄道線が近付いてきます。


急勾配をくだると、左から秩父鉄道が寄り添ってきて、
同線三峰口駅方面からの線路と合流します。
合流地点はダブルスリップになっていて、
平面交差でもすべての線に入線出来るようになっています。
その後すぐに秩父鉄道御花畑駅方面の線路が左に分岐し、
終点の西武秩父駅になります。
御花畑駅への線路には西武秩父駅のホームはなく、
くだり勾配で下って御花畑駅になります。

40(SI36)、西武秩父(せいぶちちぶ)Seibu-Chichibu


島式2線の一般ホームと駅舎側に1面1線の特急用ホームのある駅です。
一般ホームと特急ホームの間には留置線が2線あります。
計画では西武秩父線は秩父鉄道秩父駅に乗り入れる予定だったのですが、
秩父鉄道や東武鉄道の猛烈な圧力により、
市街地から外れたこの位置に駅を造りました。
西武秩父線の開通で秩父鉄道は大打撃を受けたとされますが、
今となっては微妙な状態になっています。
それは、秩父鉄道単独では秩父がいまだに遠いまちになっていて、
秩父鉄道を利用する観光客は少なかったと思われるし、
逆に秩父鉄道から乗客を奪った西武鉄道も秩父市民の、
「鉄道が都心まで結ばれて安心だから秩父から出ない。」状態で、
思ったほど西武線を利用しないからです。
しかもバブル崩壊後は厳しい状態になっています。
ただ、西武秩父駅は観光の拠点になる駅で、
秩父鉄道で長瀞、三峰口、秩父大滝方面はもとより、
小鹿野、小鹿野両神、秩父吉田各方面へバスが出ています。
もちろん、秩父市街地にも秩父神社などの観光地があり、
昔ながらの古きよき街の雰囲気に浸ることができます。


西武秩父駅は特徴のある、斜め屋根の駅舎になっています。
駅前ロータリーはかなりゆったりしています。
御花畑駅への乗り換えは、西武秩父仲見世通りと言うみやげ物店街を歩き、
その後西武秩父駅の車止めの裏手を歩き、道路を左に曲がり秩父鉄道の踏切を渡って、
すぐ右に曲がり、だんご坂を見ながら歩くと着きます。
だいたい徒歩5〜10分程度です。


西武秩父駅のロータリーには「西武鉄道秩父線開通記念碑」があり、
堤康次郎のレリーフが入っています。
西武鉄道と堤一族はかつて密接な関係がありました。
それは堤康次郎の箱根土地(のちにコクド〜現在はプリンスホテルに吸収)が、
武蔵野鉄道の経営に乗り出したからです。
それが「西武グループ=堤商店」と言う悪い体制となってしまい、
息子の堤義明氏が非上場のコクドの筆頭株主になり、
そのコクドがプリンスホテルや西武鉄道の株を半数以上取得すると言う、
堤義明氏個人が西武グループを支配すると言う独裁体制になってしまいました。
(堤義明氏が添乗した電車に向かって西武鉄道の駅員は一斉に敬礼をしたと言う、
異常な状態のエピソードもあります。)
しかし、西武鉄道株問題で、堤一族の支配する時代は終わり、
西武ホールディングスとして再出発しました。

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