
関東廃線鋼索鉄道・索道案内4
6、東武鉄道日光鋼索線
昔は日光の馬返と中禅寺湖の間に道路が無かったため、
このケーブルカーは日光観光に無くてはならない路線でした。
しかし、昭和29年に第一いろは坂(現在、くだり専用)が出来、
利用客が次第に自動車にシフトしていきました。
それでもまだ、当時の第一いろは坂はのぼりくだり兼用で道路も狭かったため、
運転がしにくく、渋滞もしたのでケーブルカーの需要もあったのですが、
昭和40年にのぼり専用の第二いろは坂が出来、
いろは坂ののぼりくだりが分離されると完全に自動車シフトに変わり、
昭和45年頃に廃止になりました。
(「馬返」と言う地名はここで馬が引き返すために名付けられました。)

明智平ロープウェイの明智平駅のある明智平レストハウスのみやげもの売り場から
硝子越しに日光ケーブルカーの明智平駅のホーム跡を望むことが出来ます。
明智平レストハウスは明智平ロープウェイの他、
日光ケーブルカーののりばでもあったのです。
明智平レストハウス内には日光ケーブルカーについての説明や、
現役時代の写真もあります。

ホームはだいぶ崩れ去っていますが、
まだ当時の原型を保っています。

今でも軌道跡ははっきりしています。
奥の方にトンネルが見えるのですが、
柵で封鎖されています。
なお、昔は軌道跡を歩けたようですが、
今は基本的に立ち入り禁止で歩くことは出来ません。
おまけ・ティーバーリフト

赤城山リフト横にあるスキー場にあるティーバーリフトです。
かつてスキーヤーは赤城山リフトを使っていたのだと思いますが、
スキー場の縮小と赤城山ロープウェイ廃止で、現在はこれ使っています。
黄色いのは駆動滑車です。

搬器です。・・・といってもロープにグリップがついているだけです。
スキーヤーはこのグリップをつかんで登って行きます。

リフトの終点です。滑車があります。終点の看板がローカルで素敵です。
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