旧日立航空機変電所

東大和市の東大和南公園内には、
旧日立航空機(現・ハスクバーナ・ゼノア/川越市)の変電所が残されています。




東大和南公園の中程にかなりくたびれた建物があります。
これが、旧日立航空機株式会社の変電所です。
昭和13年に作られたこの変電所は、
太平洋戦争のときにアメリカ軍の爆撃に遭い被害を受けましたが、
日立航空機が小松ゼノアになった戦後も使い続けました。
小松ゼノアが撤退し、公園にする時、
この建物を壊す予定だったのですが、
戦争の遺構を残そうと保存が決まりました。


変電所の建物の横にある太平洋戦争慰霊碑です。
平成7年に建立されています。


変電所入口です。
扉に時代を感じさせます。


変電所の建物は爆撃を受けた無数の穴が残っています。


爆撃の激しさが伝わります。
一応保存にあたって修復工事はしているのですが・・・。


旧日立航空機の工場の図面を見ると、
北を通っている村山線から送電線を引き込んでいたようです。
これは、小松ゼノアになった後も変わりませんでした。


変電所の内部の装置は殆ど撤去されてしまいましたが、
2階の一部分に装置が残されています。
送電ファンにとっては近くで見てみたいものです。


横に変電所の看板がありますが、
「65」とはなんでしょうか?建物の番号でしょうか?


建物の裏側に回ります。


古い外灯が残されています。


一部電線が残っていて、
手前の電柱から引き込んでいます。


電柱はコンクリート柱で、
各々はビームで繋がれています。


残されている電線の他にもいくつか電線を建物に引き込んでいたようです。


建物の裏にはコンデンサやブッシング、避雷器がごろごろ置かれています。
コンデンサは何れも日新電機製です。


コンデンサの製造年月日を見ると昭和63年になっているので、
この公園を整備する際、
どこかの変電所から不要になったコンデンサを運んできたのだと思われます。


裏に置かれている変電機器はコンデンサばかりです。


避雷器は椅子代わりに置かれていますが、
現在、立ち入りは出来ないので座れません。

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